福島県中通りの飛行場跡_2 2016.02 [TOP] [寄り道] [飛行場リスト]
・昭和22年(1947) | |
戦後すぐに開拓が再開され、まず13戸が入植した。 | |
その時すでに兵舎は近隣住民によって解体されて持ち去られ、土台しか残ってなかったとのこと。 | |
また、杉田川の南側に3箇所の弾薬倉庫があり、250kg爆弾が多量に保管されていたのだが、 | |
昭和21年7月、アメリカ軍によって一箇所に集められ、爆破処理された。 | |
その場所には巨大なクレーターが生じ、のちに水が溜まったので子供の遊び場になったという。 | |
今でも民家の庭先に残っているとのことだが、矢印で示したのがその穴ではなかろうか。 | |
さて、前述の不時着した零戦だが、その胴体が、なんと橋桁として転用されていたのだという。(図示) | |
もちろん、今はない。 | |
昭和25年(1950)頃、特需によって金属価格が高騰したのだが、それに乗じた某氏が勝手に業者に売ってしまったとのこと。 | |
それにしても零戦の胴体を使った橋とは、いったいどんな形状の橋だったのだろうか。 実に興味深い。 | |
時期的にはこの航空写真に写っているはずである。 | |
|
||||||||||
|
|
|||||
|
|||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
● | 須賀川飛行場 (岩瀬郡鏡石町) |
戦争末期になって陸軍により着工されたことは確実なのだが、資料が乏しいため不明点が多い。 | |
完成したのかどうかすら不明で、そのためか正式名称も分かっていない。 | |
おそらく矢吹飛行場にある航空機の避難先として急造された、いわゆる秘匿飛行場のひとつだと思われる。 | |
目立たないよう道路に沿って作られ、上空からは田畑に見えるように偽装されていたようだ。 | |
|
|||||||||
|
|||||||||
|
|||||||||
● | 矢吹飛行場 (西白河郡矢吹町) | ||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||
|
|||||||||||||
|
|||||||||||||
● | 沢田飛行場 (石川郡石川町沢田) |
大戦末期、あちこちに急造された陸軍の秘匿飛行場のひとつだと思われる。 | |
石川飛行場とか、棚倉飛行場との名称もあるらしい。 | |
町史によると、東部三三五九飛行場設定隊と仙台の工兵第二連隊が工事を担当し、 | |
昭和20年(1945)3月頃から中高生や地域住民を動員して建設が始められた。 | |
敷地は農家から強制収用した耕地であった。 | |
沢田小学校が兵舎として徴用されたので、児童は近隣の神社やお寺で勉強することになった。 | |
7月末に完成したが、航空機が2、3度離着陸した程度で、ほとんど使われることなく敗戦となった。 | |
連合軍から爆撃されるようなこともなかったようだ。 | |
|
|||||||||
|
|||||||||
|
|||||||||
|
|||||||||
「石川町の歴史」より引用 |
● | 浅川飛行場 (石川郡浅川町・東白川郡棚倉町) |
これも大戦末期、あちこちに急造された秘匿飛行場のひとつだと思われる。 | |
「浅川町史」に「浅川原に海軍の飛行場が造成された」とたった1行あるだけで、正式名や規模、経緯などは不明。 | |
完成したのか、実際に運用されたのかも分らない。 | |
浅川町に隣接した場所にあるので暫定的に浅川飛行場としたが、滑走路がある場所は棚倉町内である。 | |
|
||||||||
|
||||||||
|
||||||||