五百川橋梁 (郡山市〜本宮市)   2010.10        [TOP]  [寄り道]  [橋梁Web]

「日本の廃道」第58号に投稿した記事に加筆・修正を加えたものです。


   
       

   
2010年3月のORJ47号にて取り上げた「伊達橋」は、
今となっては希少となったポニーワーレントラス橋で、
イギリスから輸入された桁の生き残り&改造品であった。
   
この珍しいポニーワーレントラスが、近所にもあるらしいので訪れてみた。
夏バテでダウンした後のリハビリも兼ねてということで、
ずっと先送りにしていた"安近短"のここを選んだ。
 
アプローチは南東からの一箇所しかないが、
橋の袂までクルマで来れる、というお手軽探索である。
   
路上からは上り線が邪魔で目的の橋桁が見えないのだが、
築堤に上るとようやく見えてくる。
あれが五百川橋梁下り線の3連目の桁である。
河原に下りて、あそこまで接近してみよう。
   
10月になっても雑草たちの勢いは衰えてなくて不安であったが、
おそらくは釣り師が作ったのだろうと思われる踏み分け道がしっかりと付いていた。
無表情なコンクリート桁の下を通り抜ける。
 
奥に見えるのが下り線で、手前から1、2連目はコンクリ製の桁。
目的の3連目はその奥にある。
   
上下線の間まで下りてきた。
複線化の際に後から作られたのが右の上り線だが、左の下り線よりもやや低い。
新旧で設計思想に変更があったとか、地形が変わったとかあったのだろうか。
   
橋脚には梯子が設置されていた。
これを上れば目的の桁に近づいてじっくり観察できるのだが、ここは自重。
 
増水時にいろいろ激突したのだろうか、鉄梯子の変形具合が凄まじい。
   
梯子の裏側には"ものさし"が貼ってあった。
コンクリ桁の底辺から3mのところまで水位が上がると「警戒」
さらに1.1mまで上がると「運転中止」になるらしい。
 
五百川の上流部は安積疏水の一部として使用され、管理されているが、
それでもここまで上昇することがあるのだろうか。
   

ここで、土木学会「歴史的鋼橋集覧」から五百川橋梁の要点をつまんでおく。

  明治20年 (1887)   郡山〜塩釜間開通。初代五百川橋梁はこの時に架けられた。
  大正8年 (1919)   二代目として、このトラス橋に架け替えられる。
        しかし製造年は「東京石川島造船所 1915」とあるので、どこからか移設されたのものかも知れない。
  昭和38年 (1963)   この区間が複線化される。1、2連目のコンクリ桁の製造年もこの年。
        つまり複線化工事の際に、まず上り線用の橋を新設し、
        これを単線で運用してる間に下り線の1、2連目の桁を交換したのだろう。

 

 
この橋脚も桁交換時に新設されたことになるわけだが、
その工事の間、左のトラス桁はどうしていたのだろうか?
仮設の橋脚でも設置して支えていたのだろうか。
     
     
 

五百川橋梁

 

伊達橋

     
  比較のために伊達橋と並べてみる。
  29.667mとあるから伊達橋同様100feet規格になろうか。
  とはいえ、日本製とイギリス製では多くの箇所で構造が異なっていて興味深い。
  リベットが多いのは相変わらずだが、部品数はかなり減っている。
   
  あと数年で製造から100年になる長寿橋である。
   

   
対岸には石積みの橋台が見える。
実はこれ、初代橋以来のものと推定されている。
つまり、明治20年の開通以来ずっと現役ということになるわけだ。
私鉄だった日本鉄道株式会社の遺構なのだ。
   
なお五百川の名の由来は京都から数えて五百番目の川だからだそうだが、
これが本当かどうかはまだ確認していない。
   

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