中丸木林道・中丸木橋 (浪江町)   2008.04        [TOP]  [寄り道]  [橋梁Web]

「日本の廃道」第26号に投稿した記事に加筆・修正を加えたものです。


  福島県東部に広がる阿武隈山地の豊富な森林資源を首都圏に運搬するため、
  浪江町にある常磐線・浪江駅を起点として、明治35年(1902)に浪江森林鉄道が開通した。
  (明治42年(1909)開通の津軽森林鉄道が日本最初の森林鉄道とされているが、この矛盾は謎のまま)
  その後、ほぼ中間地点にある申瘤(さるこぶ)から分岐する支線が昭和3年(1928)敷設された。
  これが中丸木線で、支線としては珍しく機関車が導入されるほど重要な路線であった。
  本線が車道化されてからも機関車での運搬が続けられたが、昭和41年(1966)ついに廃線となり、
  他の森林鉄道同様、すぐに車道化工事が施され中丸木林道となって今に至る。
   
  浪江林鉄本支線の様子は当サイトにて公開済みだが、
  過日、かつてこの付近に住んでいたという読者の方から、にわかには信じられない情報が寄せられた。
  なんと、「現在の車道橋に、林鉄時代の鉄橋のパーツが流用されている」と言うのだ。
   
 

 

中丸木橋

 

昭和47年(1972)3月、竣工

 

 


浪江森林鉄道を由来とする県道50号落合浪江線を東へ進む。

離合ポイントの限られた狭い県道を慎重に進むと、

やがて中丸木林道との広い分岐点に到着する。

 

右が県道、左が林道であるのだが、幅員にたいして差がない点は、

さすが林鉄由来! と言った所だろうか。

 

 

常に開放されている中丸木林道に入る。

起点標識には「昭和46年起工」とあるから、廃線から5年も経過している。

その間はどうしていたのだろうか?

 

 

 

 

 

やや荒れ気味の林道を進むと、すぐに目的の橋が見えてくる。

あれが高瀬川に架かる中丸木橋である。

橋脚はひとつ。2径間のガーダー橋であるようだ。

 

何度も渡っているが特に変わったところもなく、

増してや林鉄時代の鉄橋との関連など思いも寄らない状況である。

 

 

さらに接近し、ズームアップして撮影してみる。

橋脚を境に桁の構造が異なっていることが判る。

左右非対称という、実に変わった構成の橋のようだ。

確かにこれは珍しい。

 

 

 

 

これといった特徴のない銘板を撮影しつつ橋を渡る。

中間地点らしき路上の継ぎ目から身を乗り出すと、橋脚の上面が見えた。

厚みが異なる桁を載せるため、段差が付けられている。

 

 

 

 

 

対岸は土の斜面なので、こちらから河原まで下ることができる。

 

ゴツい桁を間近に見て驚いた。

スティフナー(補剛材)が「J型」であったのだ。

 

 

 

 

明治初期に来日したイギリス人技術者であるポナールが広めたため、

「ポナール桁」とか「英国型」と呼ばれている。

その後、国内のガーダー橋は米国型(I型補剛材)に移行したため、

英国型は少なく、また現存しているものも非常に珍しい。

 

 

 

 

急斜面を下りながら撮影する。

 

なんだ、これ?

ガーダーの桁が2本平行して架けられている。

なんという贅沢! なんという無駄!

 

 

 

しかしこれこそ冒頭にあった驚愕情報、

「林鉄時代の鉄橋のパーツの流用」であったのだ。

 

1本の桁を真ん中で切断。(あるいは元から2分割だったのかも)

それを並べて新たに1径間用の桁として再利用したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

珍しい橋ゆえ、どこかに古い銘板はないものかと探してみたが、見つけられなかった。

桁と桁の間に隠れているのかも知れないが、この状態なので目視確認は不可能。

 

支材の奥に、もう片方の桁の断面が見える。

 

 

 

 

本線側の橋台、及び橋桁の様子。

情報提供者氏によると、こちらの桁も流用品とのことだが、

真偽の判定は難しい。

 

現在はコンクリート製の橋台に換えられているが、

「当時は石積みで、架け替えの際はダイナマイトで破壊した」とのこと。

豪快ですなあ・・・。

 

桁の一本は3っのパーツで構成されており、

それぞれに「AG-1」「AG-2」「AG-3」と印字されていた。

下から見ると、そのスカスカ具合に驚く。

明治時代とは明らか違う、設計の進歩に関心する。

 

 

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以下に参考写真を並べておく。