堺橋 (郡山市田村町 黒石川) 2003.08   [TOP]  [寄り道]  [古い橋]

 

<位置の推測>

ここからすぐ東の黒石川に橋があり「眼鏡橋」という。(昭和35年竣工)

手元の資料によると、現眼鏡橋の10m程下流に明治17年、橋が架設された、とある。

これこそがこの「堺橋」なのではないか、と推測している。

石組みのアーチ橋を、水面に映る姿から「眼鏡橋」と呼んだ例は多い。

以後新設された橋には正式名として「眼鏡橋」と付けられた為、「堺橋」の名は消えてしまった。

と推測している。

ちなみに黒石川は三春藩と守山藩の藩境の川である。

 

郡山市から国道49号線を東へ進み、

途中から県道54号線須賀川三春線に入る。

田村神社 表参道脇に親柱が保存されている。

 

 

 

 

四本のうちの大きい二本がこれ。

 

 

 

 

 

 

 

では左から。

こちらには「さかいはし」とあります。

下の方が異常に摩滅して文字が消えかかっています。

ここに保存される前に、何かに再利用されていた様子。

 

 

 

 

 

 

もう一つには漢字で「堺橋」とあります。

はっきりと彫られていますね。

 

 

 

 

 

 

 

     

堺橋」の側面です。

福島懸令 赤司欽一」とあります。

三島通庸の次の福島県知事で、

1884年(明治17年)に着任しています。

 

 

 

 

 

 

低い親柱に「明治」とだけ見えます。

17年以降である事だけは確実です。

 

 

 

 

 

 

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