|
|
|
<A地点> |
3月11日にM9.0の巨大地震が発生し、ここ須賀川市長沼では震度6弱が観測された。 |
地震の影響で藤沼湖という溜池のダムが決壊し、150万トンの湖水が一気に流出。 |
19戸の家屋が流出・全壊、55戸が床上床下浸水し、 |
死者行方不明8名、約90ヘクタールの田畑が水没するという、甚大な被害をもたらした。 |
|
|
|
|
現地の説明板によると、堰堤の高さは18.5mとあり、 |
国内のアースダムとしては大型の部類に入るそうである。 |
|
|
|
|
対岸から下流を望む。 |
決壊した時、藤沼湖は田植えに備えてほぼ満水状態だったという。 |
流出した湖水は針葉樹林を巻き込みながら土石流となって下って行った。 |
|
|
|
|
<B地点> |
そして、途中で林道・戸渡藤沼線の築堤をカルバートごと破壊し、 |
さらに麓へと下った。 |
|
|
|
|
<C地点> |
決壊した水は右奥から下ってきた。 |
この緩斜面には水田があったのだが、土石流に表土ごと押し流されて、 |
地下の岩盤が露出してしまっている。 |
|
|
|
|
土石流は水田を剥ぎ取った後、ここ滝集落にて簀ノ子川(すのこがわ)に合流する。 |
そして、ここで住宅や住民を飲み込んで、簀ノ子川を下っていった。 |
|
|
|
|
滝地区における、コンクリートブロック製護岸の被災状況。 |
目地に沿って割れるのではなく、上部が一直線にスッパリと切られたように無くなっている。 |
倒れた廿三夜供養塔が悲しい。 |
|
注※ nagajisさんによると、 |
「土石流が上から『すりおろし』ように削ったのではないか」とのこと。 |
どうやら現地では想像を絶する恐ろしいことが発生していたようだ・・・。 |
|
|
|
|
<D地点> |
奥に見えるのが滝集落である。 |
簀ノ子川は、奥の山際を流れている。 |
手前は水田だったのだが、土砂に埋め付くされてしまっている。 |
|
|
|
|
<E地点> |
その少し下流に架かる簀子橋(すのこばし)。 |
流出した倒木や住宅は橋桁に引っ掛かって堰を形成し、 |
溢れた水が付近の住宅の床上まで上がった。 |
居間に多量の砂利が堆積している様子が見えた。 |
|
|
|
|
<F地点> |
さらに下流にある長沼高校付近の住宅地。 |
簀子橋にできた堰は、やがて水圧に耐え切れずに決壊し、 |
勢いを増して下流の住宅を襲った。 |
|
ここには長沼歴史民族資料館の保管庫もあったのだが、 |
多くの文書や文化財が水没したとのこと。 |
|
|
|
|
<寺前橋> |
倒木や瓦礫が混じった土石流は、簀ノ子川に架かる橋を一本全壊・流出させた。 |
ここは市街地と川向こうの寺前地区を結ぶ寺前橋である。 |
この"寺"とは永泉寺を指すのだが、境内に大きな枝垂れ桜があることで知られ、 |
私も何度か見に行っている。 |
その際には必ず寺前橋を渡るのだが、その橋がなくなってしまったのだ。 |
|
|
|
|
撮影・2004年 |
|
|
|
地震の影響か、それとも土石流のせいなのか、橋台には大きなヒビが入っている。 |
中央の千切れたパイプは水道管だろうか。 |
|
|
|
|
足元の橋台を見るとごつい金具が2つあり、その片方は割れている。 |
これが支承だと理解するまでに、しばらく時間が掛かった。 |
対岸の支承も同様に破壊されているように見える。 |
土石流の圧力が、支承から橋桁をもぎ取ったのだ。 |
|
|
|
|
さて、流された橋桁はどこに行ってしまったのだろうか。 |
すでに撤去されてしまったのだろうか。 |
撤去されてなければ、まだ下流のどこかにあるはずだ。 |
川沿いに歩いて探しに行ってみよう。 |
|
|
|
|
あった。 |
瓦礫が散乱する痛々しい水田を見ながら歩くこと約400m。 |
遠方に別の橋(シダミ河原橋)が見えてきて、その少し手前にて寺前橋の橋桁を発見した。 |
|
瓦礫が堆積した中州かと思ったら橋だったのだ。 |
|
|
|
|
どうやら桁の末端が堰に引っ掛かり、ここで止まったようだ。 |
土石流なんぞに遭遇したら真っ先に剥がされそうなガードレールが、 |
そっくりそのまま付いているのが不思議、というか異様だ。 |
下から押し上げられるようにして流されたのだろうか。 |
桁自体の損傷も少ないように見える。 |
|
|
|
|
シダミ河原橋を渡って対岸に移動する。 |
右に見えるのは取水口の水門だろうか。 |
上部の手すりに引っ掛かっているのは、、、、うわぁ、畳だ・・・。 |
|
|
|
|
のどかな田園風景。 |
ゆったりと流れる川。 |
|
一ヶ月前、人や家を飲み込んだ土石流が、ここを通過していったのだ。 |
そして、ひとつの小さな橋が"旧橋"となってここにある。 |
|
|
|
|
水量が少ないので河原まで下りてみた。 |
これなら橋の上にも行けそうだ。 |
土砂に埋まって河床が上がったのかも知れない。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
河床に横たわる橋を先端まで歩いた所で、銘板が一つだけ残っていることに気が付いた。 |
実はこれを見つけたことで初めてこの橋の名前が判明したのであった。 |
それまでは地元の方に伺うつもりでいたのだが、その必要がなくなって正直ホッとした。 |
|
街で見掛けた方々は世間話をするでもなく、嘆き悲しむわけでもなく、 |
ただ黙々と後片付けの作業をしていた。 |
それがかえってこの地域が受けた傷の深さを表しているようで、 |
とても余所者が話し掛けられるような雰囲気ではなかったのだ。 |
|
|
|
|
傾いた橋の上を行き来していたら、平衡感覚がおかしくなったらしく、眩暈がしてきた。 |
そうでなくてもこの場所では、廃な物件を訪れた時にいつも感じるはずの、 |
「去り難い。もっとここにいたい」という、"引力"が感じられない。 |
・・・・帰ろう。 |
|
そんなタイミングでこれを見つけた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
田畑を潤し、そこに住む人々に糧を与えてきた川が、ある日突然、全てを奪った。 |
それでもここに住む人々は、これからも川と向き合い、付き合って行くのだろう。 |
|
万感の思いを込め、川の名前を記した金属板を路肩に立て掛けた。 |
|
|
|