板谷街道・藩境(蟹ヶ沢)               [TOP] [MENU]

坂の途中、左側に炭焼き窯の跡があった。

両側の樹木の太さからみて、

かなり古い時期に放棄されたものである。

かつての李平住民のものだろうか。

生活の痕跡がこんな所にもあった。

 

 

 

その先で道は分岐している。

左の上りの藪道には後ほど入るとして、

まずは右の下り坂を進む。

 

 

 

  

                     

蟹ヶ沢の水面が見えてきた。

李平村、そして福島藩の西の端である。

こんな所まで歩いて来てしまったのか。

感慨深い。

対岸はもう米沢藩である。

 

 

 

下流を見ると、巨大な砂防ダムがあった。

このダムのせいか水位が上がり、

上流側は見通せなかった。

沢の福島側を遡上し、あわよくば浅い箇所を

渡渉するつもりであったが、断念した。

この対岸のレポが「ROADweb」さんにあります。

TOP>特設コーナー>蟹ヶ沢(山形県側) ご覧ください。

 

さて、先程の分岐に戻ってみよう。

戻る途中、藪道側を見上げると

なんと路肩が石積みで補強されている。

その雑な工法は、近代のものとは思えない。

興奮が一気に高まる。

 

 

 

分岐左側の道に入る。

うっすらと轍が見える。車道だったのだろうか。

ここにも大きな落石が転がっている。

さらに先に進む。

 

 

 

 

ああ、ダメだ・・・。

道が消えている。奥が見えない。熊の糞もある。

こんな終わり方は不本意であるが、

必ずしも人間の思うような結果が得られるとは

限らないのが自然である。受け入れよう。

板谷街道、終了である。

 

 

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