水戸街道・中畑新田宿 [MENU]へ戻る
奥州街道と徳川御三家の一つ、水戸城下を結ぶ道。水戸側からは「棚倉街道」とか「会津街道」と
呼ばれた。水戸・棚倉・白河・会津を結ぶルートは奥州の雄・伊達家に対する防衛ラインでもあった。
明治期には茨城街道と呼ばれ、現在は国道118号線にとって代わられた。
県道44号棚倉矢吹線の旧道起点でもある。
画面奥、家並の上を通るのが、K44の新道である。
直進して奥州街道に戻る
現在は沿線の八幡神社参道(後述)に移設されている。
神社や寺社では良く見かけるが、
実際に街道を照らしていた石燈が残っている例は少ない。
2016.09追記
現在は修理された上、元位置に戻されている。
新しい説明板と標柱も併設された。
JR奥羽線の踏み切りが閉鎖されている。
水戸街道探索終了・・・。
迂回する。
「水戸街道踏切」なのだろうか?
よく見ると、フェンスにドアがある。
そこに石碑が雑に集められている。
その中の最大の板碑の台座は道標になっている。
「左石○」はおそらく「石川」と思われる。
「右○○」は草冠がわずかに見えるので、
「蒜生」と推測した。どうでしょう?
前述の常夜燈はここに移設されている。
あぶくま高原道路の下を通る。