旧国道13号線・栗子隧道・工事用軌道 (山形県米沢市) 2005.02
明治13年、福島〜米沢間の栗子峠に馬車道が開通。「万世大路」と命名され、峠部には「栗子山隧道」が通された。
昭和になって自動車の通行を可能とするため、峠の隧道は改良されることになる。後の「栗子隧道」である。
記録写真を見ると、改良工事の際、隧道付近に工事用の軌道が敷設されたことが判る。
<考察と仮定>
米沢坑口の北側を見ると、等高線に沿って「がけ(土)」の記号がいくつも並んでいる。(赤い矢印)
自然崩落が、同じ等高線上に連続して発生する、なんてことが起こりうるだろうか。
人工的に開削した痕跡なのではないか、と仮定してみる。
地図上の「がけ」を繋ぐと、無理なく一本のラインが引ける。これが工事用軌道の軌跡なのではないだろうか。
しかし何を運ぶための軌道だったのだろうか。隧道開削で出た残土を、1kmも離れた地点まで運ぶだろうか?
さらに、実際にラインを引いてみて初めて判ったのだが、北に向って少しずつ上昇しているのだった。
これはいったいどんな理由によるものなのだろうか?
どなたか、現地に行って調べてきてはくれまいか・・・・。
「土木県令 三島通庸」 丸山光太郎著 より
万世大路 (山形側・刈安新道、福島側・中野新道)
江戸期の米沢藩の計画をベースに調査を開始。刈安村〜赤浜村〜明神峠〜板谷村の計画だった。(現R13に近い)
明治9年10月、地元の木こり、猟師を同伴して調査開始。
板谷村から東南に進み、「字明ヶ通し」「鷹落し」の難所を過ぎると伊達郡中野村に達する。(あれ?工事軌道とは別?)
結局、栗子山に隧道を掘る事に決定。実際に隧道が掘られた山は杭甲山であった。「くいこやま」1111.4m くいこ=くりこ?
地元では連山全体を「栗子山」と呼んでいた。古代から木こりすら入った事のない深山幽谷だった。
刈安隧道は、栗子山隧道を掘るための試験、熟練の意味もあった。
刈安隧道〜栗子山隧道間の道路より先に、栗子山隧道開削工事が先行した。滝ノ沢から工事用仮説道路を設置した。
その他
陸羽街道・伏拝坂の改修
茨城街道甲 越後街道会津若松町金堀から分岐、勢至堂峠〜白河、陸羽街道を横断、東村釜子、棚倉、県堺大。
茨城街道乙 矢吹村中畑新田から分岐、中畑、釜子に至り、甲線に合流。(水戸街道)
中村街道 小径を馬車道に改修。現R115
富岡街道 磐城街道 御斉所街道など。