乙字ヶ滝舟運路 (須賀川市)   2004.08   [TOP]   [寄り道]  [廃道Web]

 

須賀川市内、R118を南下する。

阿武隈川を渡る直前で旧道に入る。

やがて乙字橋が見えてくる。

 

 

 

 

上流側を見る。

R118の現道、乙字大橋が見える。

川には堰が設けられ、右側の水路に

引かれている。

下流の前田川発電所まで続いている。

 

  浜田用水路→こちら

                     

橋上から下流を望む。

乙字ヶ滝があるのがこちら側である。

水路の右側に、もう一本別の水路があるのだが

お判りだろうか。

 

 

 

 

水路の護岸に沿って、一筋の水の流れがある。

これが江戸時代に舟を通したルートで、現在でも残っている。

白河藩の廻米を阿武隈川を下って仙台まで送り、

そこで大きな船に載せ換えて、海路江戸まで送っていた。

その際乙字ヶ滝では、馬に積み換えて迂回していたが、

この舟運路完成後は、積み換え作業が不要になった。

 

 

 

 

乙字ヶ滝は、幅はあっても落差は小さい。

そこに溝を切ってスロープとし、

舟を通したわけだ。

さて、その舟運路まで行ってみよう。

 

なお「乙字ヶ滝」は明治以降の呼称で、

江戸期には「石河の滝」と呼ばれていた。

 

河原に下りて上流を見る。

正面に見えるのが乙字ヶ滝、

その右奥に先ほどまでいた乙字橋が見える。

足元の黒く見えるのが、水に濡れている部分で

これが舟運路跡である。

 

 

 

下流側を見る。

この辺りの水深は2〜3cm程しかなく、

普通の靴でも対岸に渡ることが可能だ。

奥へ進む。

 

 

 

 

 

 

奥へ進み、振り返る。

硬い岩盤が深くえぐられている。

現在に至るまで、当時のまま残るほどの硬い岩盤である。

江戸期の施工であるから、

大変な苦労があったものと思われる。

幅は2mほどある。

こういった人口の水路を「造り澪」と呼ぶ。

 

 

 

下流側。

平底舟を人力や馬で引き上げたのであろう。

当時の様子が目に浮かぶようだ。

今風に言えば「インクライン」になるのかな?

ちょっとカッコイイな。

 

 

 

ここで本流に合流する。

溝の深さは1.2mほどあるが、

相変わらず水深は浅く、せいぜい踝まで。

水着かゴムボートで

ウォータースライダーごっこしてみたいなあ。

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  福島県立博物館発行 「江戸時代の流通路/ふくしま 米のゆく道・塩のくる道 より引用 [2006.03追記]

  なかでも最大の難所は乙字ヶ滝であった。ここは、はじめは長さ30間(約54m)の続枠を両側につくり、
  幅8尺(約2.4m)の桶状の水路を作って通船したが、洪水によりこわされ、安政5年(1858)から岩を掘削し、
  水路を作る工事を始めた。この長さ92m、幅4.5m、出口の深さ2.4mの水路を作る難工事は、
  24年の歳月をかけ、明治15年(1882)に完成した。この水路ができるまでは、
乙字ヶ滝の上下でそれぞれ
  舟運を行い、ここでいったん荷を岸に揚げて、滝をはさんで別の舟に積み替える継船の方式をとらざるを
  えなかったのである。 
(文中「桶状」は「樋状」の誤植と思われる)