旧国道4号線・伏拝坂1 (福島市) 2004.03/2006.12加筆修正 [TOP] [寄り道] [廃道Web]
江戸期の奥州街道は福島市の南部、伏拝の丘陵上を通っていた。そこから福島盆地への下り坂は急峻で、
「伏拝坂」と呼ばれる難所であった。
明治になり三島通庸が県令を勤めた時期に、伏拝坂を避けて街道の東側、丘陵の中腹に新道が開かれた。
その後、丘陵を迂回する新道が開削され国道4号線になり、更にその後、これらの道とは全く別のルートで
開削されたのが、現在の国道4号線バイパスである。
このバイパス道は、伏拝の丘陵を切り通す形で設置されたため、旧街道と明治新道は切断されことになった。
旧街道にはバイパスを跨ぐ橋が架けられた為、現在でも通行可能だが、明治新道には救済措置がなく
放置されたため、このルートは通行不能になり廃道になった。(工事以前から廃道状態だったと思われる)
ここでは三島通庸が関わり、廃道と化した明治期の「新道」を探索する。
ピンクが最も古い奥州街道。
三島が開いた明治新道は、地形図からは消えている。
その後、開削されたのが緑の旧国道で、明治新道と一部重なる。
南北に縦走しているのが国道4号パイパス(黄文字)である。
上図の北半分を拡大してみた。
A〜Fまでが明治新道だが、A〜D間は地図から消えている。
奥州街道と明治新道の分岐点がここである。
ガードレールと杉林の間に僅かな空間があり、
手前の舗装がそこだけ広くなっている。
これが明治新道の入り口である。
すぐ先でR4バイパスにより切断されており、
法面の上に残っているはずの道も、
笹が密生し、とても歩けるような状態ではない。
辛うじて細長い三角形に残っている。
右から左に道が延びていたはずだ。
さて向こう側はどうなっているのだろうか。
西側を見上げる。
土手の上に竹薮があり、その奥には
はっきりと段差が見える。
交差点を左に曲がり、旧R4に入る。
見上げると、コンクリート吹きの法面の上に段差がある。
あれが明治新道であろう。
段差部分には落石防止柵が設置されている。
奥に見える駐車禁止の標識のあたりで
崖の法面は終わっている。
連続しているようだ。やはり「道」だ。
さて、下から見るだけではつまらないので、
最初から辿ってみることにする。
道路拡幅工事に伴う法面工事の為、
辛うじて残っていた旧道の痕跡が完全に消失した。
黒い法面左側の段差が旧道(次ページ参照)。
旧道と法面の境界には進入防止のフェンスが設置されている!
物好きが転げ落ちるのを防ぐためかな(笑
このサイト見たのか?(笑 次へ進む→