若松競馬場  (会津若松市)  2013.09        [TOP]  [寄り道]

 

旧国道49号を走っていたら、分岐にて古い道標を見つけて停車。

この旧国道は明治に開削された新しい道だから、

分岐道も道標もそれ以降に作られたものということになる。

 

 

 

 

この形式・フォントは大正〜昭和初期に立てられたものだ。

上部に真新しい欠損が見られる。

 

右 長原ヲ経テ競馬場 若松市ニ至ル

左 飯盛山 若松市ニ至ル

とある。

 

 

 

 

え? 競馬場?

福島市になら今でもあるけど、会津若松に競馬場なんてあったっけ?

 

と疑問に思いながらこの道標を撮影したのが2005年のことだった。

今頃になって詳しく調べてみる気になった。

 

 

 

 

 


 

  昭和4年 1929   地方競馬規則に基づく競馬場として北会津郡一箕村大字上蚕養に会津競馬場として開設
  昭和14年 1939   軍馬資源保護法の制定に伴い、同年秋の開催をもって休止
  昭和24年 1949   競馬法に基づく福島県営の地方競馬場として、若松競馬場の名称で復活
  昭和25年 1950   廃止。 194950年の2年間に延べ5回の公営競馬が開催された

 

昭和21年(1946)に撮影された航空写真には、楕円形のコースが鮮明に写っている。

撮影当時は休止から7年が経過していたはずだが、再開を前提にしていたのか、

何かに転用されることなく旧状を保っていたようだ。

 

そして、この3年後の昭和24年には再開されるわけだが、翌年に廃止されてしまう。

コース一周は200m、幅員は18mだったとのこと。

 

 

「国土変遷アーカイブ」より引用

 

廃止から26年経過した昭和51年(1976)撮影の航空写真。

太いバイパス道が開削され、さらに宅地開発も進んだため、もはやコースの痕跡すら見当たらない。

周辺も、そしてコースの内側までも水田だった昭和21年当時とはかなり変化している。

 

 

 

 

 

「国土画像観覧システム」より引用・加工

 

それでも拡大すれば、なんとなく楕円形が見えてくる。

競馬場東側の直線コースは、全て富士通の工場敷地となって消失した。(現在は高等学校)

なんとかコース跡の形状を留めているのは半分程度だろうか。

 

資料によると、コース西側に事務所、スタンド、パドック、厩舎、食堂、券売所、景品交換所、

などが集中する一角があった。(黄色の点線)

撮影当時はまだその区画が残っており、もしかすると建物の遺構も残っていたかも知れない。

 

 

現在はさらに宅地化が進んでいる。

車道となっていた西側直線コースが更に拡幅・延長され、

その影響で旧二本松街道が切断・消失してしまった。

 

事務所などがあった一角も、区画自体が希薄になっている。

 

 

 

Yahoo地図より引用

 

今でも痕跡が濃厚なのが南端のカーブ部分である。

半円状の区画となって残存しているのだ。

しかし、空から見てこそ認識できることで、

現地に行っても実感することはできそうもない。

 

この「絵」が今回のメインである。

Yahoo地図より引用

 

競馬場と道標の位置関係を検証してみよう。

道標は「右」、つまり北への細道を進むよう指示しているのだが、

こうして見るとかなり遠回りだったように思える。

当時の道路事情では、北へ進むルートの方が近道だったのかも知れない。

 

 

Yahoo地図より引用

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