浜通りの津波災害に遭った学校一覧  (福島県)  2017.02        [TOP]  [寄り道]


 

「国土地理院」より引用・加工

相馬市立 中村第二小学校 (なかむらだいに)
 
1974〜78年撮影。
物的にも人的にも大きな被害が出た相馬市沿岸部にある小学校。 
画像の右端にはもう松川浦が見えている。
   
2011年3〜4月撮影。
学校の南北にある水田まで津波が到達したが、
学校敷地への浸水はなかったようだ。
津波は国道6号バイパスを越え、さらに1kmも奥へ至った。
南側は水が引いたが、北側はまだ海水が溜まっている。 
あちこちに打ち上げられた漁船の姿が見える。 
   
2011年5〜9月撮影。
水は引いたが、多くの漁船がまだ残されたままだ。


相馬市立 飯豊小学校 (いいとよ)
 
1974〜78年撮影。
この学校も松川浦のすぐ西側にある。 
   
2011年3〜4月撮影。
津波は国道6号バイパスと県道74号で止まっている。 
東側は学校の目前まで迫ったところで止まったようで、 
校舎敷地は無事だった模様。 
   
2011年5〜9月撮影。
水は引いたが、水田はまだ土砂に埋まったままだ。


南相馬市立 鹿島小学校 (かしま)
 
1974〜78年撮影。
JR常磐線・鹿島駅のすぐ東側にある。 
   
2011年3〜4月撮影。
真野川が改修されて直線になっている。
津波は学校のすぐ東にまで到達した。 
川に架かる道路橋・鉄道橋は無事だったようだ。 
   
2011年5〜9月撮影。
校庭の東側に見えるプレハブの建物は、他校用の仮設校舎だろうか。
学校西側の空地には被災者用の仮設住宅が建てられている。


南相馬市立 真野小学校 (まの)
 
1974〜78年撮影。
真野川のすぐ南側にある。 
   
2011年3〜4月撮影。
ここに写るほぼ全地域が浸水した。
中央に津波に飲み込まれた真野小、その北側に泥だらけになった集落が見える。 
校舎の一階と体育館が水没したが、教員・児童は高台に避難して全員無事だった。
あちこちに、打ち上げられた漁船の姿が見える。 
   
2011年5〜9月撮影。
集落では家屋の撤去が進んでいる。 
   
現在。
真野小は2014年3月で廃校となり、鹿島小に統合された。
跡地は真野交流センターとして再利用されている。
「Yahoo地図」より引用・加工


浪江町立 請戸小学校 (うけど)
 
1974〜78年撮影。
北側に見える請戸集落の南端にあるのが旧請戸小で、 
平成10年(1998)に移転するまではここにあった。
   
2011年5〜9月の撮影。
移転後も海に近い立地であることに変わりはなく、津波の直撃を受けた。
ここに写る全域が浸水し、請戸集落は壊滅的な被害を受けた。
校舎の一階が水没したが、教師や児童は全員避難して無事だった。
校庭が瓦礫置き場になっているようだ。
現在も原発事故の影響で休校中。
   
2013年9月の撮影。
土台だけになった請戸集落全体が、緑に覆われつつある。
校庭の瓦礫も相変わらず。
 
被災してから2年も経過しているのに、ほとんど変化がない。
まさに、その「変わらない」姿こそが、この地域に起きた悲劇を物語っている。


いわき市立 四倉中学校 (よつくら)
 
1974〜78年撮影。
学校は新舞子浜に面したところに建っている。 
左上にはJR常磐線・四ツ倉駅と、住友セメント四倉工場の広大な敷地が見える。
   
カシミールでの「最新」とは、震災前を指すようだ。
住友セメントは撤退し、空地となっている。 
常磐線、国道6号、学校や町並み、そして砂浜。
平和な光景である。
   
2011年5〜9月撮影。
沿岸部の住宅地は流出したのか撤去が進んだのか、更地が目立つ。 
津波は校舎を飲み込み、国道6号を越えたところで止まった。 
幸いなことに、線路にまでは達しなかった。 
セメント工場跡に建っている建物群は被災者用の仮設住宅である。 


いわき市立 豊間中学校 (とよま)
 
1974〜78年撮影。
薄磯地区南部に、小学校(左)と中学校が東西に並んで建っている。 
豊間中の東側はすぐ海である。
   
カシミールでの「最新」とは、震災前を指すようだ。
小中学校の校舎は建て替えられたが、
町並みは上写真とほとんど変わってない。
   
2011年5〜9月撮影。
土台だけになった民家群が痛々しい。
ここ薄磯地区では、260世帯のうち245世帯が流失、全壊、半壊被害を受けたとのこと。
海に近い中学校は津波に直撃され、一階と体育館が破壊されたが、 
山側にある小学校は無事だった。
校庭には瓦礫が集められ、プールも半分ほど埋まってしまっている。
   
現在。
解体が進んだらしく、空地となった宅地がさらに増えている。
被災した豊間中は、豊間小の西側高台に移転が決定し、
平成28年度(2017年3月)までに新校舎が完成の予定である。
旧校舎は解体されるが、震災遺構として保存して欲しいとの要望もあるようだ。 
「Yahoo地図」より引用・加工
   


いわき市立 永崎小学校 (ながさき)
 
1974〜78年撮影。
海と山に囲まれた永崎地区。 
そんな狭いエリアに永崎小はある。
砂浜に沿って伸びる緑の帯は、江名鉄道の線路跡であろう。
   
カシミールでの「最新」とは、震災前を指すようだ。
廃線跡は車道化されたが、町並みは上写真とほとんど変わってない。 
   
2011年5〜9月撮影。
山添いにある家の除いたほぼ全ての世帯が浸水した。
土台だけになった民家が目立つ。
県道の橋が破壊され、流出している。
校舎は一階と体育館が冠水したが、教師や児童は全員避難して無事だった。
翌年から同校舎にて授業を再開している。
   
現在。
解体が進んだらしく、空地となった宅地がさらに増えている。 
高台では森が切り開かれているが、宅地開発だろうか。 
「Yahoo地図」より引用・加工
   


福島県立 いわき海星高校 (いわきかいせい)
 
1974〜78年撮影。
旧名は小名浜水産高校。 
海と神白川に挟まれた平場に校舎が建っている。
ここにも江名鉄道の線路跡が見える。
   
カシミールでの「最新」とは、震災前を指すようだ。
廃線跡は車道化され、田畑の宅地化が進んでいる。 
校舎も建て直されている。
   
2011年5〜9月撮影。
ここに写るほぼ全地域が浸水した。 
校庭の西側が崩落しているのが見える。 
校舎一階や体育館などが水没し、大きな被害を受けたが、 
翌年から同校舎にて授業を再開している。
   
現在。
被災した民家が撤去され、空地が増えている。 
校内では体育館が撤去されたり、林が更地になったりと、
色々な工事が進んでいるようだ。
校庭西側の崩落は、まだ復旧してない。
「Yahoo地図」より引用・加工
   


いわき市立 錦東小学校 (にしきひがし)
 
1974〜78年撮影。
鮫川の河口付近にある。 
校舎は中央に見える広大な平場に建てられる。
   
カシミールでの「最新」とは、震災前を指すようだ。
常磐線、国道6号の他、新設された錦東小の校舎が見える。 
   
2011年3〜4月撮影。
津波は錦東小の敷地を飲み込み、その西側にまで達した。 
避難状況、被災状況は不明。 
   
2011年5〜9月撮影。
鮫川河口の砂丘上にある集落では撤去が進んだようで、更地が目立つ。 
現在、同校舎での授業は再開されている模様。 


いわき市立 勿来第二小学校 (なこそだいに)
 
1974〜78年撮影。
常磐線・勿来駅のすぐ東側にあり、海にも近い。
   
カシミールでの「最新」とは、震災前を指すようだ。
線路と国道6号が並列して通っている。 
   
2011年3〜4月撮影。
海に近い立地であったが、幸い津波は学校敷地にまでは達しなかった。 
海側の集落は浸水したはずだが、建物は流されずに残っている。 
   
2011年5〜9月撮影。
浸水した建物の撤去が少しずつ始まったようで、更地が目立ってきた。 
   

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