久来石用水 (矢吹町・鏡石町)   2010.12        [TOP]  [寄り道]  [隧道Web]

「日本の廃道」第57号に投稿した記事に加筆・修正を加えたものです。


 
先月号で「日本畜産専用軌道」を紹介した際、矢吹ヶ原の水田化は戦後に開通した「羽鳥湖用水」開通まで待たねばならなかったことに触れた。
那須連峰の鎌房山を源流として阿賀川に合流し日本海に注ぐ鶴沼川にダムを築き、隧道にて分水嶺を越えて太平洋側に導水。
阿武隈川水系の隈戸川に水を落とし、そこに堰を設けて農業用水としたのが羽鳥湖用水である。
 
 
しかし矢吹ヶ原の農民は、ただ水が流れてくるのを"待っていた"わけではなかった。
明治時代から自力で農業用水確保のための模索を繰り返していたのである。
 
明治24年(1891)、久来石(きゅうらいし)星善之助らが水路の開削を計画したが挫折(ルート・進捗など詳細は不明)。
大正9年(1920)には、善之助の子・幸太郎が耕地整理組合の事業として再度挑戦。
隈戸川に堰を築き、東岸の岩壁を掘り抜いて導水。水路を北に伸ばして久来石西部の耕地を潤す計画を立てた。
さらに、水路の途中に発電所を建設して渇水期に電気揚水するための電力とすると共に、近隣住民宅に送電する計画も含まれていた。
組合は御料地内の赤松の払い下げを申請して工事費用を捻出。県の土木技師に測量と設計を依頼し、事業は着工された。
しかし、この工事は完成することなく中止されてしまう。
原因は工期延長に伴う資金不足と、設計にミスがあったためとされている。
今回のレポートは、この未完成に終わった用水路が対象である。
 
その後、星幸太郎はこの失敗に挫折することなく、すぐに代案の実行に移った。
取水地点を600mほど下流に変更し、そこに揚水ポンプを設置して引水する計画である。
この工事は無事に完成して溜池を満たすことに成功したが、後にポンプが故障してしまい、その修理費用を捻出できずに廃止されてしまった。
この影響で負債を抱えた星家は、地主から小作農に転落したとの逸話が残っている。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

水路跡は「史跡・三十三観音」付近に現存する、とのこと。

地図を見ると県立矢吹病院の裏あたりらしい。

ここから入る。

 

 

 

 

病院の敷地内に入ってしまうのではないか、と不安だったが、

道は病院や老人ホームの間を抜けて続いていた。

その奥にある分岐にて、説明板を見つける。

 

 

 

 

 

矢吹町指定文化財「三十三観音磨崖仏群」とある。

仏像が彫られた崖の上には滝八幡社があり、

前九年の役の時に源義家が建立したものとのこと。

その際、神社の屋根を矢の柄で葺いたので 矢葺き→やぶき→矢吹 となったとある。

矢吹町のルーツはここだったのだ。

 

 

 

砂利道を下ると、すぐにトイレやベンチが併設された駐車場に着く。

史跡公園として整備されているようで、今回はどうやらスリリングな場面はなさそうだ。

トイレは冬季閉鎖だった。

 

 

 

 

クルマを止めて階段を下ると、川に沿った遊歩道に着く。

これは下りてきた階段を振り返って見たところ。

法面と遊歩道の境にある窪みが、大正時代に星幸太郎が開削した水路の跡である。

坂道と階段は公園として整備された際に設置されたのであろうか。

その影響で水路の一部が埋もれてしまった。

 

 

 

階段の向こう側にも水路が続いていたはずだが痕跡は薄い。

U字溝を設置した際に改変されてしまったようだ。

 

全く関係ないが対岸に見えるへつり道や石垣も気になる。

 

 

 

 

遊歩道の脇に水路。

そして、その奥に立ちはだかる岩壁の下にぽっかりと・・・・穴だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水路隧道の坑門に接近する。

大きさはちょうど大人がしゃがんで進めるくらいある。

人力のみで掘削した隧道なのだろう。

 

坑門上部にあるアーチ状の切り欠きはなんだろうか?

人工的なもののように見えるが、デザインなのか、試掘の跡なのかよく分からない。

 

 

坑門前から水路跡を振り返る。

一ヶ月前に行った下見の時の画像なので、まだ緑が残っている。

 

太古の昔、隈戸川に削られてできたのであろう岩壁に、仏像が並んでいる。

これが「三十三観音磨崖仏群」である。

 

 

 

坑門を過ぎ、磨崖仏を見ながら遊歩道を進むと小さな横穴が開いていた。

腹這いになってやっと入れる程度の大きさしかない。

すぐ奥を隧道が横切っているのだが、これはズリ排出用の横穴だろうか。

あるいは水路に堆積した土砂の搬出用か。

 

下見の時には枯れていた花が、新しいものに替えられていて和んだ。

 

 

さらに進むと、ガードロープが岩壁に回り込んで行き止まりになる。

隧道は岩壁の内部をさらに奥へと続いているはずで、

取水口はもっと上流にあったと思われる。

 

 

 

 

 

いや、行き止まりではなかった。

遊歩道はなぜか横穴へ突入している。

普通は穴の中へは入らないよう、手前で仕切って遮断すると思うのだが、

ここは「中へどうぞ、どうぞ」とばかりに誘っている。

これは非常に特殊な例ではなかろうか。

 

 

 

横穴は高さ150cmくらいだろうか。

中腰で入れるほどの大きさがあり、入り口の下部はよく踏まれて摩滅している。

 

磨崖仏の裏側を通り抜ける、という立地。

封鎖するどころか誘導するかのようなガードロープ。

------ 「胎内巡り」 という単語が思い浮かんだ。

使用されることなく放棄された隧道を、

「光と闇を通じて仏の恩恵を体験する施設」として再利用したのだろうか。

 

 

 

内部には無数のノミ跡が見られた。

掘ったのは石工だろうか、地元の農民だろうか。

人の手による仕事の生々しい痕跡である。

 

 

 

 

 

隧道に入って内部を撮影。 横穴同様、中も縦長である。

無数に刻まれたノミ跡に混じって上部に丸い穴がいくつか見える。

これは長ノミで掘った跡であろう。

 

古い水路隧道ならではの、こうした荒っぽい仕上げは、あまり見ることができない珍しい痕跡だ。

 

 

 

 

 

 

続いて反対側を撮影すると"やつら"が写っていた。

天井が高いのでちょっとだけ奥に進んでみようかな、と思っていたのだがこれを見て断念した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隧道は左側の岩壁内をさらに奥へと伸びているはずだ。

ここからは道もなく落石だらけのようだが、もう少し先まで進んでみよう。

 

 

 

 

 

 

自動車ほどもある落石を超えたところで、もうひとつ横穴を見つけた。

これまでで最も径が大きいが、これもズリ出し用の穴なのだろうか。

ずるずると滑る危険な斜面をよじ登って接近してみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは隧道が屈曲している頂点のようだ。

それにしてもこんな横穴を開けたら水が全部漏れてしまうではないか。

完成後に塞ぐ計画だったのだろうか?

それとも設計か工事のミスで貫通してしまったのか?

 

 

 

 

内部はしゃがんで歩けるくらいの高さがある。

土臭い。カビ臭い。

 

 

 

 

 

 

やがて一枚岩の滑沢のようになる。

取水口を設置するとしたら川が湾曲する場所の外側だろうから、

写真中央辺りだと思われるが、埋められてしまったらしく、何も残ってはいなかった。

落差のないこんな穏やかな場所での取水は、容易ではなかっただろう。

 

ここで奥に見える施設について触れておく。

 

 

大正時代に計画された久来石用水の取水口、と仮定した場所に現在ある施設。

これは前述した「羽鳥湖用水」の一部を成す、隈戸揚水機場である。

メイン取水口である日和田頭首工は、ずっと上流に建設(昭和26年)されたが、

それだけでは水が不足したのか、下流のここにも取水口が設けられたのだ(昭和38年)。

双方とも近年建て直されて二代目が稼働中である。

 

 

 

これは偶然の一致なのだろうか。

星氏らによる用水路開削事業は失敗したが、

計画そのものは間違ってなかったのではなかろうか。

そう思いたい。

 

 

 

 


 

探索区間全体を見るため、気になっていた対岸にも行ってみた。

ご覧の通り完全一車線、離合箇所皆無の砂利道なのだが交通量は多いようだ。

奥が上流である。

 

 

 

 

 

磨崖仏群と横穴が二つ見える。

遊歩道は右側の穴まで続き、隧道内に導かれている。

 

 

 

 

 

 

水路隧道のほぼ全景を見渡す。

こうして見ると右端の大きな横穴はサブの取水口だったようにも思えてくる。

しかし未完成で放棄された遺構だけに、なんとも判断し辛い。

 

 

ここは景観も良くアプローチも容易なので、気軽な探索にはお勧めの場所である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
ちなみに、隧道部分より北側にあった水路は、東北自動車道建設に伴う圃場整備の際にほとんどが消えてしまっている。
しかし、その一部は姿を変えて現存しており、今でも田畑を潤している。
 

 

 

 

 

 

 

昭和49年(1974)の銘がある圃場整備記念碑

「高速道路関連」とある

 

 

 

 

 

河岸段丘に沿って開削された水路

奥の築堤が高速道路である

 

 

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