板谷電気株式会社 (福島県福島市・山形県米沢市) 2013.06 [TOP] [寄り道] [廃電Web]
わずかな資料にのみ名前が出てくる、謎の多い電力会社である。 | |
初見は「近代デジタルライブラリー」にて公開されている「大日本商工録」(昭和7年(1932)版)で、 | |
「伊達郡伏黒村小幡」との住所のみが記載されている。(板谷は山形県であるが、福島県の項に掲載されている) | |
伊達郡の会社が、なぜ遠く離れた板谷に発電所を有していたのか、興味を持った。 | |
検索してみると、まるで関係ないように思える「福島県直轄国道改修史」がヒットして驚かされた。 | |
しかも非常に詳細な記述があり、板谷電気が昭和の万世大路・二ツ小屋隧道・栗子隧道の改修工事に関係していたことが判明する。 | |
「工事の中心である二ツ小屋隧道付近は山間辺地であり機械力によるため、福島県伊達郡伏黒村大字小幡字大泉13番地、 | |
板谷電気株式会社と契約して、電力及び電灯用電気の供給をうけた。」 (昭和8年度 P183) | |
「3300V送電線及び電灯設備は板谷電気株式会社に請け負わせ、 | |
8月31日にこれらの設備が完了し、9月1日より送電を開始した。」 (昭和8年度 P183) | |
「前年度に板谷電気株式会社と契約して二ツ小屋隧道まで送電設備を施工した。 | |
この年度では、その途中、信夫郡中野村大字茂庭字与平沢(烏川)より分岐して、 | |
栗子隧道東入口まで延長2550mの送電線を新設して諸器械の原動力とし、また電灯用に供給した。」 (昭和9年度 P195) | |
以下はさらに興味深い。 | |
「板谷電気(株)は福島市新町にあって、発電所は福島、山形県境を流れる袖ヶ川沢(ママ)に沿う板谷地内にあった。 | |
もとは水力発電の由であるが、だんだんに水量不足になって、この工事施工当時は火力により発電していた。 | |
これは板谷部落にだけ供給したもので、従って3300Vの送電はできないので、 | |
大部分は福島電灯(株)より電気を補充したものであった。この発電所は今はない。」 (昭和9年度 P195) | |
本社住所は現在の伊達市保原町小幡町だろうか。(昭和30年に、伏黒村の一部だった小幡・中瀬が保原町に編入している) | |
統廃合が複雑でよく分からなかった。 さらに福島市新町という住所も出てきて混乱が増す。 | |
発電所は袖ヶ沢にあったとある。国道13号沿いか、あるいは奥羽本線よりも下流か。 | |
火力発電所はどこにあったのだろうか? 板谷だとすると、大量の燃料(おそらく石炭)は板谷駅にて貨物扱いか。 | |
定期的に輸送され、専用線が敷設されていた可能性もある。 | |
万世大路改修工事用に敷設された資材運搬軌道(昭和8年9月完成)は、この送電線ルートを参考に開設されたのかも知れない。 | |
福島電灯から受電していたようだが、 |
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戦時の電力統制に関する記事が、昭和12年7月1日の福島民報に載っていた。 | |
「地方の小電力会社は大会社に統合する」という国の方針を紹介する記事内にて、福島電灯に合併予定の会社が羅列されており、 | |
川俣電気、安達電気、板谷電気、東白川郡高野電気、茨城県黒沢電気、栃木県東野電気、とあった。 | |
おそらくはこの記事の通り、福島電灯と合併して消えたと思われる。 2013.12追記 | |
(大正末期に「旭水力電気」として起業し、「安達電気」に改名。自社の発電所はなく、受電のみ。「高野電気」は「高野電灯」と同一と思われる、既出) | |
さらに「近代デジタルライブラリー」を探ると、「電気年鑑」なるものが大正から昭和初期にかけて毎年発行されていたことが判明。 | |
全国の民営、官営、市町村営、自家用など、あらゆる発電所が網羅されているのだった。 | |
以下に、「大日本商工録」(昭和7年)と「電気年鑑」(昭和7〜13年)などをまとめておく。 | |
T14 | 板谷電灯所 | 南置賜郡山上村 | 所主:宗川清之 未開業 | 「電気年鑑 大正14年」 | |
T15 | 板谷水電合資会社 | 東京市麹町区有楽町1-3 (日比谷ビルデング20号) |
代表社員:土屋五十五 府下豊多摩郡中野谷戸2390 主任技術者:千葉乕夫 福島県西町 |
「電気年鑑 大正15年」 | |
S2 | 板谷電気株式会社 | 福島市大字福島字仲間町9 | 取締役:金子与左 渡辺要助 土屋五十五 中村新太郎 高山恵太郎 監査役:天野吉辰 樋口兵次郎 金子与十郎 主任技術者:千葉乕夫 福島市西町 |
「電気年鑑 昭和2年」 | |
S7 | 〃 | 伊達郡伏黒村小幡 | 「大日本商工録 昭和7年」 板谷は山形であるが福島の項に掲載 |
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S8 | 〃 | 伊達郡伏黒村大字小幡字大泉13 | 「福島県直轄国道改修史」 | ||
S7.8 | 〃 | 伊達郡伏黒村小幡 | 社長:金子与左 取締役:渡辺要助 中村新太郎 監査役:金子金六 佐川茂男 金子堅太郎 天野吉辰 主任技術者:古関松次郎 |
「電気年鑑 昭和7・8年」 「同 昭和9年」から天野吉辰が追加 |
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S9 | 〃 | 福島市新町 | 「福島県直轄国道改修史」 | ||
S10 | 〃 | 福島市仲間町28 or 118 | 社長:金子与左 取締役:渡辺要助 中村新太郎 監査役:金子堅太郎 天野吉辰 (金子三左衛門) 主任技術者:佐々木諫 |
「電気年鑑 昭和10年」 「同 昭和11年」から堅太郎→三左衛門 |
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S12 | 〃 | 〃 | 社長:金子与左 取締役:渡辺要助 中村新太郎 監査役:金子三左衛門 佐川茂男 主任技術者:佐々木諫 (佐藤善一) |
「電気年鑑 昭和12年」「13年」「14年」 「同 昭和15年」から受電のみ 「同 昭和16年」から佐々木→佐藤 「同 昭和17年」には記載なし |
「電気年鑑」を元に、同社の盛衰をまとめてみよう。 | ||
■ | 大正13年(1924) 板谷電灯所が設立 | T14 |
住所の南置賜郡山上村には板谷が含まれる。 | ||
資本金:3万円 水力:17kW (「未開業」とあるので、出力は予定であろう) | ||
■ | 大正13年(1924)5月 板谷水電合資会社が設立 (板谷電灯所から一部譲受) | T15 |
「板倉電灯所一部譲受」とあるが、これは前述の板谷電灯所の誤植であろう。 「一部」と言うのが気になる。 | ||
経営者が変わり、本社は東京都千代田区で、社長も中野区の人なので、開業時は東京の電力会社だったわけだ。 | ||
資本金:2万円 と減額している点が気になる。 | ||
■ | 大正14年9月(1925) 袖ヶ沢発電所が開業 | T15 |
「大正15年版」を見ると、前年に開業したようで、発電容量:18kW と予定をやや上回る出力が記録されている。 | ||
さらに「増設工事中」とあり、30kWとのことだが原動力は不明である。 | ||
発電所住所は信夫郡大笹生村とあるから、袖ヶ沢の左岸にあったと思われる。 | ||
■ | 大正15年(1926)9月 板谷電気株式会社が設立 (板谷水電から譲受) | S2 |
再び経営者が変わり、ついに株式会社になる。 本社は福島市仲間町で、資本金:5万円 と大幅に増資されている。 | ||
「増設工事中 30kW」はそのまま継続。 | ||
社長:金子与左(金子與左) 金子家は伊達郡箱崎の資産家で、与左は県会議員を勤めた。 | ||
新道開削や信達軌道にも関わり、伊達橋架設に際してこの地の人心を二分した「伊達鉄橋騒擾史」の著者でもある。 | ||
遠く離れた板谷にのみ給電してる電力会社を、どうして伊達の人が買収したのだろうか。 | ||
昭和3年度版〜6年度版まで、板谷電気の記載がない。水量不足と資金不足で休業状態だったのだろうか。 |
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■ | 昭和2〜7年頃 福島電灯より受電を開始 20kW | S7.8 |
袖ヶ沢発電所も存続しており、発電容量:18kW と変化なし。 しかし「増設工事中」の表記はなくなる。 | ||
本社を福島市から伊達郡に移転。 | ||
■ | 昭和8年(1933) 板谷発電所が開業 (火力発電で40kW) | S9 |
電力不足を補うため、供給先である板谷地内に火力発電所を建設した。 福島電灯からの受電もなくなった模様。 | ||
これが大正14年来「工事中」だったものだろうか。ちょっと時間が掛かり過ぎているので、別件かも知れない。 | ||
■ | 昭和8年9月 万世大路改修工事のために電力を供給 | |
コンプレッサー、ミキサー、砕石機、電灯用に給電。 火力発電がメインで、不足分を福島電灯から受電していた。 | ||
■ | 昭和9年(1934) 本社を伊達郡から再び福島市仲間町に戻す | S10 |
水力、火力の2発電所体制(計58kW)を維持しつつも、福島電灯からの受電を再開。 100kW | ||
■ | 昭和14年(1939) 両発電所ともに発電停止 | S15 |
発電容量の欄が空白になる。受電のみになったのかと思いきや、「福島電灯ヨリ」の欄も空白である。 | ||
事業停止状態になったのだろうか。 | ||
火力発電所は板谷にあった。
重量のある発電機を汽車で板谷駅まで運んだのだろうか。
そこから沢までは、どうやって運んだのだろう。