やがて右への分岐があるが、こちらが街道である。
旧R49にしてK43の起点でもある。
自転車のタイヤ幅しかない草の道と
その先に顔を出す舗装道。
とりあえず現役の道であるようだ。
通りすがりの人が、
「この人は何を撮っているのだろう?」
と不思議顔で撮影方向を振り返る。
この画像が見られるのは「街道Web」だけですよー(半泣
奥に集落が見えてきた。
立木観音で有名な恵隆寺や、
心清水八幡神社の門前町として
参拝客で賑わった宿場町である。
集落の西端に分岐がある。
直進するのが沼田街道。(柳津までは柳津街道、
その先は伊北街道、とも呼ばれた)
ここを右に入るのが越後街道である。
この分岐には道標があったが、
正面の民家の左側にある。
「是より左柳津路」 とある。
地元では「追分け石」と呼んで今でも大切にしている。
「右」の左側に見える窪みは戊辰戦争の際の弾痕である。
大変な激戦地だったことが窺える。
石碑を盾にして隠れた人に、
十字砲火を浴びせたのだろうか?
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