右にあるのは殉職警察官の石碑である。
街道にはここから入るのだが、
当時はもっと右に分岐点があったと思われる。
これが越後街道である。
こんな細道でも舗装されている。
それなりに車の通行もあるようだ。
緩やかな坂を上ってゆく。
気多神社の前を通ると、K43にぶつかり、
そこを右折する。
奥から出てきて、画面左へ進むのが街道だ。
これが鐘撞堂峠である。
当時は険阻な山道であったが、
現在はご覧の通りである。
傾斜が大きい下りは、現道(水色)とも旧道(ABCD)とも
全く別のルートを通っていた。
緑の点線が街道のルートであった。
街道は旧県道に切断されて使われなくなり、
藪に埋もれてしまった。
参考までに旧県道のレポをご覧ください→こちら
目安を付けて、藪の中に入ってみると、
すぐに細長い空間に出た。
これが越後街道・鐘撞堂峠の末端部だろうか?
確信は無い。
やがて前方に現道が見えてくる。
現道は、随分掘り下げられているようだ。
ここを新旧合流点と仮定した。
そこで名残惜しく、振り返り見る。
右奥に隠れている鞍部が鐘撞堂峠だ。
街道はそこから合流点まで、真っ直ぐに下りていた。