越後街道・舟渡村                     [TOP] [MENU]

鐘撞堂峠を下った所にある集落は「坂ノ下」という。

なんとも判り易い名前である。

ここでK43は右に分かれて行く。

直進するのは県道340号上郷舟渡線である。

 

 

 

 

すぐに分岐がある。

右がK340なのだが、街道はここを左折する。

県道341号別舟渡線に入る。

 

 

  

                     

K341は左にカーブし急坂を下るが、

街道は直進していた。

またこの付近には一里塚があった。

K341開削時に崩されてしまったのだが、

なにか痕跡はないものか、と探してみる。

 

 

 

上の画像、右側の藪の中に

標柱の上端が出ているのを見つけた。

一里塚を示した物に違いない!

数回の探索を経た末の自力発見だったので

非常に嬉しかった。

 

 

 

興奮しつつ藪をかき分け、踏み潰すと標柱の全体が現れた。

舟渡一里壇跡

塚は失われてしまったが、

標柱は色褪せながらも残っていてくれた。

 

 

 

 

 

 

さて、県道から反れて直進していた街道だが、

こちらも残っている。

「野良への近道と称して今でも利用している」

と資料にはあるが、

ゲートボール場に急ぐばあちゃんは素通りだった。

 

 

 

「高寺ふるさとを興す会」が建てた標柱がある。

一里塚跡のものと同時期の建立であろう。

「旧越後街道跡」とある。

行ってみよう。

 

 

 

整備されているらしく、藪道にはなっていない。

踏み跡も鮮明だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと、右の斜面上を見上げると、

石碑群のシルエットが見えた。

実際は帰路に寄ったのだが、

ここでは先に紹介しよう。

 

 

 

 

一里塚跡の後ろから回り込むと簡単に接近できる。

石碑には江戸期の年号が刻まれていた。

「舟渡村」の文字も見られた。

これらは一里塚があった場所から

移設されたのかもしれない。

 

 

 

さて、街道を下る。

この坂道は只見川が形成した河岸段丘であろう。

眼下に現道・K341が平行しているのが見える。

 

 

 

 

 

一部、路肩が崩れてロープが張ってあった。

崩落により日当たりが良くなったせいか、

ここだけ藪になっている。

慎重に通過する。

 

 

 

 

現道との高度差がなくなると合流だ。

この辺りもちょっと藪っぽい。

 

 

 

 

 

 

新旧合流点を振り返り見る。

こちらからだと街道の存在に気が付きにくいな。

 

ちなみに奥に見える、新道のヘアピンも

なかなか凶悪で萌える曲線であった。

 

 

 

坂を下り切ると平坦部に出る。

河岸段丘の最下段である。

そこには集落や水田が広がっている。

これが舟渡宿(ふなと)である。

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