寺坂の八雲神社の前を通る。
この辺りで県道から東に分かれる筈だが、
道形は見当たらない。
街道は県道と平行して南下していた。
合流点は一部だけ残っていた。
耕地化されなかったのは県有地だからか?
とにかく草の道は残った。
旧街道上には民家が建っている。
これじゃ探索は無理だわ。
現在の馬場宿は、当時の坂路宿である。
問屋もあったらしい。
県道沿いに石碑群があることで、
街道は県道に飲み込まれたと判る。
人馬の休息・宿泊所である立場(たてば)があった。
現在もここに住む南條家が営んでいた。
近所の方にお話を伺うことができた。画像左端に見える坂を上った所に南条家の母屋があり、
画像中央の場所に立場があった、とのこと。現在ここには分家の方がお住まい、とのことであった。
側溝が斜めに延びている所があるのだが、
この側溝に沿って街道があった、と見た。
ちなみに「この空地には木賃宿があった」
との話も伺った。
途中に江戸後期の石碑群を発見。
道があったことを教えてくれる。
ただ側溝に沿って歩くのみである。
しかし頼みの側溝もここで左に反れていってしまう。
さらにブロック塀に遮られ、進行も不可能。
この納屋は街道上に垂直に建てられたと思われる。
県道から見て斜めに建っているのだ。
よって、ここを合流点だと推定した。