御斉所街道・薄木 [2005.08]               [TOP] [MENU]

 

大原から2km程、県道を進む。

ここまでは旧街道と重なっていると思われるが、

薄木の外れに辛うじて一部が残っている。

 

 

 

 

夏は草に覆われて見辛いので、冬の画像を載せておく。

現道に削られた岩の法面が見えるが、

その上に街道の一部が残存している。

10mほど上だろうか。

あそこまで行ってみる。

 

 

 

[2006.01]

                     

なんとか踏み跡らしい道があるが、

おそらくこれも御斉所街道の痕跡であろう。

まるで登山道である。

水の流れる小沢を渡渉して進む。

 

 

 

 

 

 

坂を上るとやがて僅かな平場と石碑群が見えてくる。

けっこう訪れる人がいるらしく、手摺りが設置されている。

ちょいと興醒めだ。

周囲の石碑はほとんどが馬頭観音であった。

 

 

 

 

平場に到着した。

この幅1m程の岩のテラスこそが

オリジナルの御斉所街道である。

滑りやすいので、牛馬には草鞋を履かせて

通行したとのこと。

 

 

 

奇跡的に街道が残ったのは、ここに磨崖仏があるからであろう。

赤く塗られていることから「薄木の赤観音」と呼ばれている。

その昔、ここを通り掛った駄馬が崖下に滑り落ちたが、

無傷で助かった。

御利益に感謝して、馬子が現場に刻ませたのが、

この赤観音なのだという。

 

 

 

 

赤観音の先は更に峻険な地形であった。

地元の人は、ここを「きっかけ橋」と呼ぶ。

ん? 山の中に橋?

そう。岩の急斜面に穴を開け、丸太をねじ込んで

その上に板を渡し、桟橋としたのだ。

「切り架け橋」の意であろう。

 

 

カーブで見通しが利かず、すれ違いもできないので、

橋の両側から声を出したり、笛を吹いたりして、

途中でかち合わないようにしていたと言う。

現道から「きっかけ橋」付近を振り返り見る。

コンクリートの法面の端に、石碑群がある。

 

 

 

中央の大きいのが「弘法爪書地蔵尊」。

かつては街道沿いの山中にあったものを

ここに下ろしてきたもので、

昭和30年の銘のある「再建記念碑」もある。

注目は、その左側にある石碑だ。

 

 

 

昭和十一年旧六月四日建立 「遭難者供養塔」とある。

昭和になっても遭難者が出るような道だった事に驚く。

明治の大改修がなされる前の江戸期の道は

どのような道であったのだろうか。

想像を絶する。

 

 

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