御斉所街道・下松川村・大原 [2006.01] [TOP] [MENU]
右はバイパス道で、左が旧道になる。
旧道の橋は撤去され、橋台のみが残る。
道路拡張の際に掘り出されたものだという。
明治期の廃仏毀釈で埋められたのだろうか。
一応コンクリートの台座に載せられているが、
あまり大事にされているようには見えない。
少しだけ付近のお掃除をして、先へ進む。
前木の石仏群にはミカンが供えてあった。
よしよし。
右に分岐するのが県道135号線であるが、
これもまた古道で、かつては平潟街道と呼ばれ、
貝泊を経て茨城県の平潟港に続いていた。
前述のように、平潟は当時棚倉藩領であった。
当時は白い車のある角に設置されていたらしいが、
現在は、画像正面に移設されている。
上の1/3が失われているが、残された文字は判別可能だ。
右は かいのとまり平形 左 かとうふの小名たいら |
(貝泊・平潟) (上遠野・小名浜・平) |
太字が残存部分である。
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街道は橋を渡ってすぐに右(南)に折れていたが、
現在の県道は直線的に改修されている。
明治24年のことである。
ここからは、崖と川に挟まれた僅かな空間を
細々と進むしかなくなる。
旧街道は、奥に見えるワッフル状の法面を
横切っていた。
いよいよ「険阻」と恐れられた御斉所街道が現れだした。
消えた旧街道沿いにあった石碑が
法面の対面に集められている。
大正や昭和のものも散見される。