御斉所街道・下松川村・大原 [2006.01]        [TOP] [MENU]

 

竹貫宿を出るとすぐに上松川村・横川に入る。

右はバイパス道で、左が旧道になる。

 

 

 

 

 

集落内を通り、R349を横断すると大平川に出会う。

旧道の橋は撤去され、橋台のみが残る。

 

 

 

 

  

                     

対岸に渡ると、石仏群がある。

道路拡張の際に掘り出されたものだという。

明治期の廃仏毀釈で埋められたのだろうか。

一応コンクリートの台座に載せられているが、

あまり大事にされているようには見えない。

少しだけ付近のお掃除をして、先へ進む。

 

 

川を渡って1km程で下松川村に入る。

前木の石仏群にはミカンが供えてあった。

よしよし。

 

 

 

 

 

街道はやがて三叉路のある大原(だいばら)に差し掛かる。

右に分岐するのが県道135号線であるが、

これもまた古道で、かつては平潟街道と呼ばれ、

貝泊を経て茨城県の平潟港に続いていた。

前述のように、平潟は当時棚倉藩領であった。

 

 

この三叉路には道標がある。

当時は白い車のある角に設置されていたらしいが、

現在は、画像正面に移設されている。

 

 

 

 

 

これがその道標である。宝暦14年(1764)の建立。

上の1/3が失われているが、残された文字は判別可能だ。

 かいのとまり平形

左 かとうふの小名たいら  

(貝泊・平潟)

(上遠野・小名浜・平)

太字が残存部分である。

 

 

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三叉路を過ぎるとすぐに川を渡る。

街道は橋を渡ってすぐに右(南)に折れていたが、

現在の県道は直線的に改修されている。

明治24年のことである。

 

 

 

 

右(南)に折れた街道は、すぐに鮫川に突き当たる。

ここからは、崖と川に挟まれた僅かな空間を

細々と進むしかなくなる。

旧街道は、奥に見えるワッフル状の法面を

横切っていた。

いよいよ「険阻」と恐れられた御斉所街道が現れだした。

 

 

新道開削により、旧街道は消えてしまったが、

消えた旧街道沿いにあった石碑が

法面の対面に集められている。

大正や昭和のものも散見される。

 

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