石川街道・六軒→前田川       2003.07        [MENU]へ戻る


 

畦道、いや石川街道をさらに進むと分岐があります。

ここは右に進みます。

が、そこで道は薮に覆われ、消えています。

街道は薮を南進し、農家の敷地内を通ってました。

 

ここも。さらにここから先も、

マップルでは車道の表記になってますな。

 

農家の敷地を迂回。その南側に街道が再度現れます。

梨、柿、リンゴなどの果樹園の中を通ります。

結構長く、この狭い道が続きます。

自転車でならすれ違いも可能でしょうが、

私は車で進入してしまった・・・悲惨なり。

 

 

やがて、六軒団地の南側に出ます。

奥に見える市道との南西角に石碑が集められています。

 

 

 

 

 

その石碑群の中に六軒の道標があります。

奥に見えるひと際大きな庚申塔の両側面に、

「いしかわ道」 「がんほうじミち とあります。

石川道、岩法寺道のことです。

 

 

2003年3月撮影

 


同じ年の夏。

 

2003年7月撮影

 

 

 

[2017.06追加]

 

それから3年後。

 

2006年1月撮影

 

 

 

 

 

[2017.06追加]

 


上のように、その後も何度か六軒道標の前を通ったが、状況は好転せず。

しかし、久しぶりに通りかかったところ、

謎の岩やら産廃やら藪やらが全て撤去され、きれいになっていた。

 

これでやっと碑の全面を見ることができる。

 

2010年7月撮影

 

正面に大きく「庚申」

左面の「がんほうじミち」は見えてきたが、

右面の「いしかわ道」全体を見渡すのは、今回が初めてである。

 

「わ」は、「○」を筆にて2画で書いた「( )」とのこと。

変体仮名字体表を見てやっと理解できた。

 

 

[2010.07]追記

 


『「六軒の道標」を元あった場所に移設』との新聞報道に接し、さっそく見に行ってきた。

もう移設されたわけだから、ここには既に無い、ということは分っていても、

個人的に馴染みのある場所でもあるので、やはり訪問せずにはいられない。

掘り返され、埋め戻された跡が、まだ生々しく残っていた。

 

2017年6月撮影・追記

 

 


道標から50m程南に分岐があります。

六軒道標は元々ここにあったものと思われます。

右が「いしかわ道」で、左が「がんほうじミち」です。

ここでは左の市道を南進します。

 

                →右に進む

 

画面右の電柱の影に

「懸道編入記念碑」があります。

しかし、現在これは県道ではありません。

五叉路をさらに南進します。

 

 

 

すぐにR118バイパスと交差します。

奥に見える松林の奥が下り坂になっていて

「鰹坂」(かつざか)と呼ばれてます。

岩城で獲れた海産物を運んで、

徹夜で御斉所街道を越えてきた人夫が

夜明けを迎えて一息ついた場所だそうです。

 

 

ここでR118と交差します。

正面は封鎖されていました。

 

 

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