石川道・六軒→三城目宿1 [2006.02] [TOP] [MENU]
3ルートある石川街道のうち、
B 岩法寺経由のルートは既にレポ済みだが、
「六軒の道標」から西側へ分岐する「C 石川道」はまだ未紹介であった。
今回は石川道の中でもモータリゼーションから取り残された、
赤い点線の部分のみをレポする。
(赤点線のすぐ東を平行して通るのが明治の新道である)
左の岩法寺経由の石川街道は既に紹介した。
今回は三城目宿経由の右の道に進む。
この分岐には道標があったが、現在はやや北側に移設されている。
六軒の道標と呼ばれる庚申塔である。
画像は庚申塔の左側面である。
「がんほうじミち」と読める。岩法寺道の意であろう。
右側面に彫られた「いしかわ道」も目視では確認できたが、
狭くて撮影は不能であった。
今回は、この石川道を進む。
江戸時代の街道をそのまま舗装しただけ、って感じである。
路面の様子から見て車が入ってるようだが、
私は遠慮した。
出迎えご苦労!
ちょっと通らせてもらいますよ。
しかもブラインドカーブになっている。
左サイドには全く逃げ場なし!
車で突入しなくて本当によかった。
泣きが入るところだった。
それでもタイヤが半分はみ出してる感じだ。
左サイドがコンクリートの壁じゃないのが、
せめてもの救いか。
民家が途切れると果樹園に入り、
ややホッとする。
道はここでクランク状になっているが、
これは用水路が設置された為であろう。
よけいに狭く見えますな。
軽トラのおばちゃんは平然と走ってましたが(笑
このルートは明治から昭和初期まで、三城目宿の北側にある山から産する安山岩、
通称「三城目石」を須賀川に運ぶ運搬路として使用された。
昭和9年(1934)に水郡線が開通すると、
石材は泉郷駅に集められるようになったが、
それまではこの狭い道を重い石材を積んだ荷馬車が往復していたのだ。