その中をくねくねと道が伸びている。
圃場整備が進むと直線になってしまい、
便利だが面白みのない旅になる。
重ね石と呼ばれている。
説明板などは全く無い。
これは昭和になってからできた道。
街道は石の右側を巻いていた。
現在でも車が通れる位の幅員がある。
右に上る細い道が見える。
かつては水原に通じていた道だった。
この分岐には道標が二つあったが、
近くの清水集落の神社の境内に移されている。
見つけ易いが、清水の神社は見つけられなかった。
地元の方に聞いて、やっと辿り着く。
この防火用水池の脇から入り、
民家の前を通って行くのだった。
これじゃあ判らないわけだ・・・。
祠の右側の「供養青面金剛塔」の左側面には
「右水原道 左八丁目道」とあり、
左側の「湯殿山」碑の正面右下には
「右ハ水原ミち 左ハ八丁目ミち」とある。
板谷街道は左側の坂を上るのだが、
右に進むルートも
かつては米沢に通じていたらしい。
高速道路の上に出る。
跨線橋(清水橋)を渡り対岸の坂を下る。