三春道・郡山宿→三春宿 1      [MENU]へ戻る


  三春道の起点を探すと、三つの説が出てきた。
  1、道標の説明板には、「ここ(会津街道分岐)から北へ38mの下枡形に建てられた」とある。
  2、大町1丁目と2丁目の間に北枡形(後期)があり、ここに道標が建てられた。
  3、三春道のルートを示した地図を見ると、さらに北側に起点がある。
   
  「枡形に道標が建てられた」のは共通している。枡形の位置は2ではなく1である。
  と言うことで、ここでは「1」を採用している。
   

奥州街道郡山宿の北枡形の東に、三春道の起点がある。

分岐には「従是三春道」道標があった。

現在は、少し南の会津街道(明治期)分岐に移設されている。

 

 

 

 

 

  この先は市街地化が進み、JR東北線が通り、当時の面影は全く見当たらない。

  よって、逢瀬川を越えた所からレポを再開する。 

逢瀬川に架かる逢瀬川橋上から撮影。

東部幹線を北上し、橋を渡るとすぐに右折(東)。

堤防の外側を下って行く。

 

 

 

 

食品工業団地と民家の間の曲折した道を進んで行く。

これが三春道である。

変わったのは舗装されたことくらいで、ほぼ当時の状態のまま残っている。

 

 

 

 

やがて阿武隈川の堤防にぶつかる。

画面右の土手が堤防、正面左右には、県道57号郡山大越線が見えている。

右上の手すりは阿久津橋。

 

 

 

 

阿久津橋の少し下流、対岸に旧橋の橋台が残っている。

この辺りに、阿久津の渡しがあった。

 

 

 

 

 

 

対岸の橋台に移動。

近くには石碑群がある。

やっと街道らしい雰囲気になってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

振り返ると、そこは旧阿久津村の中心部。

狭く、曲っているのは旧道の特徴ですな。

さらにこの先は迷路のように入り組んでおり、

「こっちかな?」と勘で進んで行く。

 

 

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