左に標柱が建っているが、文字が消えている。
おそらく「ワレ石」を示す標柱ではないだろうか。
名物として古絵図にも載っている、
これがワレ石であろう。
これは県道からも見える所にある。
それとも放棄された畑なのだろうか。
開拓地としては成功しなかったようだ。
奥に高い木が見えてきた。
ここにも標柱らしきものがあるが、倒れていて文字も読めない。
これが古絵図にある「弁慶の硯石」だと思われる。
この名が付いたものと思われる。
上のワレ石と共に、江戸期の旅人の興味を
どれほど惹いたのか、資料はない。
藪の中に道形が窺えるが、
季節的にここは迂回だ。