右へ上ると「昭和の森」に通じる。
反対側に道が通じている。
ここに馬頭観音がある。
今回はここを迂回して先へ進む。
この道は作業道の可能性があるので、
あえて深入りしないことにした。
さらに松並木までもが残存し、
文化財として保存されている。
この辺りは磨上原(すりあげはら)と呼ばれ、
かつて伊達氏と芦名氏が激戦を交えた所である。
この石碑は三忠碑と呼ばれ、磨上原の戦で
功のあった芦名氏の家臣を称えたものである。
この先、森の中に途切れ途切れに、
雑木雑草に覆われて街道が残っているとのこと。
今回は迂回して先へ進む。
不動の一里塚、または
御上覧場の一里塚と呼ばれている。
嬉しいことに二基共に残存しているので、
その間を街道が通っていたことが確実なのだが、
塚の前後に道形は見当たらなかった。
混在していて、街道の痕跡は薄れ判りづらい。
しかしこの道は農道ではなく街道である、
と確信できる。
湯殿山の石碑があるのだ。
台座に「土田村」の陰刻がみられる。
街道は左側の水田を斜めに横断していた。
(この石碑は、現在道路に背を向けて建っている。
街道はもっと左側を通っていたのかも知れない)
道の両側に側溝があり、水が流れている。
かつては中央を流れていたのだろう。
県道に合流しているが、街道はここを
直進していた。
奥の未舗装道に入る。