二本松街道・不動→土田村              [TOP] [MENU]

牧草地を抜けると、舗装道を横断する。

右へ上ると「昭和の森」に通じる。

反対側に道が通じている。

ここに馬頭観音がある。

          

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道は奥へと続いているが、

今回はここを迂回して先へ進む。

この道は作業道の可能性があるので、

あえて深入りしないことにした。

 

 

  

                     

土田堰の南側に道形が残っている。

さらに松並木までもが残存し、

文化財として保存されている。

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街道沿いに大きな石碑が建っている。

この辺りは磨上原(すりあげはら)と呼ばれ、

かつて伊達氏と芦名氏が激戦を交えた所である。

この石碑は三忠碑と呼ばれ、磨上原の戦で

功のあった芦名氏の家臣を称えたものである。

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そこから西へ街道は続いている。

この先、森の中に途切れ途切れに、

雑木雑草に覆われて街道が残っているとのこと。

今回は迂回して先へ進む。

 

 

 

 

森を抜けると目前に一里塚がある。

不動の一里塚、または

御上覧場の一里塚と呼ばれている。

嬉しいことに二基共に残存しているので、

その間を街道が通っていたことが確実なのだが、

塚の前後に道形は見当たらなかった。

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この辺りは開拓が進み、宅地、牧草地、田畑などが

混在していて、街道の痕跡は薄れ判りづらい。

しかしこの道は農道ではなく街道である

と確信できる。

 

 

 

 

なぜなら、ここに安永二年(1773年)建立の

湯殿山の石碑があるのだ。

台座に「土田村」の陰刻がみられる。

街道は左側の水田を斜めに横断していた。

(この石碑は、現在道路に背を向けて建っている。

街道はもっと左側を通っていたのかも知れない)

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ここから土田(はにた)の集落に入る。

 

 

 

 

 

 

街道の北側に大きな湯殿山の石碑がある。

道の両側に側溝があり、水が流れている。

かつては中央を流れていたのだろう。

 

 

 

 

 

集落の西端で舗装道は左に折れ、

県道に合流しているが、街道はここを

直進していた。

奥の未舗装道に入る。

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