街道は川の手前で左に曲がり、
現在より上流(画面左)で越えていた。
道形は見られない。
すぐにJR東北線を渡る。
奥のカーブの辺り、左側に馬宿があった。
第6奥州街道踏切
かなり古そうだ。
北杉田宿入り口の枡形の痕跡である。
ここに木戸があった。
(赤白の三角コーンの所)
ここにも「幅員減少」の標識がある。
つまり、この部分の幅員は
江戸期に木戸が設置されて以来現在に至るまで、
ずっと変化が無かったのではないだろうか。
現在では交通の障害になっている箇所なわけだが、「街道Web」的には大変興味深い場所である。
実際観察していたら、普通車同士の離合も困難であり、トラックが来ると停車して待機していた。
これでも国道4号線だったのである。 >こんな感じです。
北杉田村名主の市川家である。