白河街道・勢至堂宿→勢至堂峠 その1     [MENU]へ戻る

  < 勢至堂峠の歴史 >

  1545 杣道に過ぎなかった道を、葦名盛氏が開く。この時、勢至堂宿がつくられる。

  1590 豊臣秀吉の命により、伊達政宗が整備する。秀吉も、会津へ行く際通過している。

      本陣は柏木氏。現在は空地になっている。

  1884 明治17年、峠の東側に新道を開削。これがほぼ現在の旧R294にあたる。

    ?  勢至堂宿を迂回して、東側にバイパスができる。

  1994 峠を迂回して、勢至堂トンネルが完成。 

 

江花を抜けると、本格的な峠道になってきます。

R294をどんどん上ります。

勢至堂宿まで、ずっと人家はありません。

途中の浄水場の手前に切り通しがあり、

その上の薮の中に「犬石」という石碑があります。

当時の白河街道は切り通しの上にあったわけです。

 

 

「勢至堂」の標識を見て、左(西方)に降り、

旧R294に入ります。すぐに笠松橋があります。

街道は、ここから左(西方)に入るのですが、

道形は見られません。

笠松も伐採されたようです。

 

  

                     

笠松橋付近で旧国道と分かれた街道は、

ここで、再び旧R294に再合流します。

途中に墓地があり、「おいらんの墓」があります。

勢至堂宿にいた飯盛女の無縁塚です。

異郷の地に散った、薄幸の女性に合掌。

 

 

勢至堂宿に入ります。

今でも国道標識が残ってます。

街並もよく保存されてます。

とてもいい雰囲気の宿場町です。

 

 

 

 

街道東側の真勝寺は明治に廃寺となり、

その跡地には勢至堂小学校ができました。

しかし、これも近年廃校になりました・・・。

敷地内に宿名の由来になった勢至堂があります。

左後方の赤い屋根がそうです。

子供の声の消えた小学校に、今年も変わらず

桜が綺麗に咲きました。

 

勢至堂宿を抜けると、分岐があります。

右(東方)へ曲がると、R294に合流します。

正面が白河街道=旧R294です。

 

 

 

 

すぐに小さな橋を渡ります。

「一里塚橋」・・・いい名前です。

期待に胸が膨らみます(^o^)丿

 

 

 

 

 

これが勢至堂の一里塚です。

左右一対そろってます(T_T)感涙

こんなものが国道の左右によく残ったものです。

 

 

[MENU]へ戻る

前に戻る        次へ進む→