やがて「三代」(みよ)の表示が見られるようになる。
三代村に入ったようだ。
この辺りには戦前まで松並木があったが、
松根油採取のため、全て伐採されてしまった。
中ノ入への入り口である。
蒲生氏郷が会津移封の際、近江から連れてきた
木地師の子孫が今でも住んでいる。
新しい石碑があった。
宿駅を通る道の幅員は狭いのが相場だが、
三代は非常に広い。
これは、安政4年(1857年)の大火を教訓に、
類焼を防ぐ目的で両側を一間ずつ広げた為である。
今でも大事にされている。
今でも旅館兼食堂として存在している。
柏屋の反対側にある正福寺には、
新撰組隊士・松本喜次郎の墓がある。
もちろん現役である。
問屋兼肝煎の窪小谷家である。