白河街道・三代宿1                  [TOP] [MENU]

唐沢から3km程、国道に沿って北上する。

やがて「三代」(みよ)の表示が見られるようになる。

三代村に入ったようだ。

この辺りには戦前まで松並木があったが、

松根油採取のため、全て伐採されてしまった。

 

 

 

途中にある分岐を振り返り見る。

中ノ入への入り口である。

蒲生氏郷が会津移封の際、近江から連れてきた

木地師の子孫が今でも住んでいる。

 

  

                     

分岐には古い石碑と、「稲荷道」と彫られた

新しい石碑があった。

 

 

 

 

 

 

分岐から1km弱で三代宿に入る。

宿駅を通る道の幅員は狭いのが相場だが、

三代は非常に広い。

これは、安政4年(1857年)の大火を教訓に、

類焼を防ぐ目的で両側を一間ずつ広げた為である。

 

 

 

崩れかけた古い地蔵像だが、

今でも大事にされている。

 

 

 

 

 

 

江戸期から旅籠を営んでいる柏屋は、

今でも旅館兼食堂として存在している。

柏屋の反対側にある正福寺には、

新撰組隊士・松本喜次郎の墓がある。

 

 

 

 

街道左側に一軒だけ茅葺屋根の家があった。

もちろん現役である。

 

 

 

 

 

 

街道右側に大きな屋敷がある。

問屋兼肝煎の窪小谷家である。

 

 

 

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