相馬街道・正部田                   [TOP] [MENU]

南北合流点を振り返り見る。

右が北、左が南ルートである。

右端にポツンと立っているのが「正部田入口」バス停。

進行方向は手前。

 

 

 

 

直後、現道は直進した後、左にカーブしているが、

左側に旧道が残っている。

入ってみる。

 

 

 

  

                     

道はしっかりしてるのにも関わらず、

土砂により入念に塞がれてる。

ダンプで何度も土砂を降ろした様子だ。

新旧合流点での衝突防止が目的か。

 

 

 

 

土砂の山を何回も越えると再び道が現れ、

バイパスに合流する。

「カーブ注意」の標識が夏草に埋もれている。

白線により幅員が窺い知れるが、

ここもかつてはバスが通っていたのである。

 

 

 

左カーブの先は、右カーブ。

「幅員減少」の看板が立っている。

この付近には古い石碑があったはずだが、

この大規模工事の後では現存は望めまい。

さらにこの先・・・・。

 

 

 

初めは地滑りの現場かと思ったが、

山を開削して道路を通す工事現場であった。

小山が一つ無くなろうとしていた。

 

 

 

 

その先は、まさに「幅員減少」していた。

急に狭くなる。

くどいがバス路線である。

 

 

 

 

 

暗い森を抜けると三叉路に出る。

左は戦国時代の城、四本松城(塩松城)への道。

石橋氏、大内氏、伊達氏、と城主が代わった。

右が相馬街道である。

 

 

  ここに「三又沢」というバス停があるが、周辺に人家は無い。近隣の集落にはそれぞれバス停があるので、
  このバス停の存在意義が不明である。このバス停にバスが止まった事が、一度でもあるのだろうか?

すぐ先で口太川を渡り、存伋(ぞんきゅう)の集落に入る。

橋の袂にあった地蔵像は見つけられなかった。

 

 

 

前に戻る        次へ進む→

[MENU]へ戻る