現在、峠は5m程の切り通しになっている。
街道は直進していた。
直進って・・・・道が無いんですが。
既に車道では無くなっていたが、
そこには階段が設置され、
なんとか現在でも通行は可能になっていた。
眼下を国道349号線が横切り、
その向こうには下田の集落が見えてきた。
一般人は、この階段が旧街道だったとは気が付くまい。
きれいなコンクリートの階段。輝くステンレスの手すり。
全てが今風の施工である。
しかしこうして遠望すると、「街道」として
違和感を感じないのは私だけだろうか。
良い形で生き残っている気がする。
相馬街道は直進「↑伏返」方面。
左が北で針道>川俣方面。
右が船引>三春方面である。
よって横断する道は、
川俣街道、あるいは三春街道と呼ばれた。
川俣街道=絹の道、の交差点であるから、
さぞや当時は賑わったであろう、と思われたが、
なんと当時は無人の辻であったという。
現在の街並みは明治期に形成されたのであった。
南には馬乗畑宿(現・馬乗・まのり)があるため、
宿駅を設置する必要がなかったのであろう。
この辻の北西角には道標がある。
電柱の間に見える石が道標である。
右側に「東 さうま 南 ミはる」
左側に「西 二本松 北 かわまた」
とある。
「下田」バス停がある。
ていうか、ここバス通ってんのかよっ!
歩行者は磨り潰されそうだ。
町道に合流する。
バスが通っている所が見たいものである。