東北本線・久田野駅・砂利線 (白河市) 2007.12 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
何かおいしいネタはないものか・・・。 | |
と「国土変遷アーカイブ」にてアメリカ軍が撮影した航空写真を見ていたら、こんなものを見つけた。 | |
東北本線・久田野駅の南西で本線から分岐し、水田の中を緩やかなS字を描いて南下、 | |
阿武隈川と平行になったところで終わっている。 | |
その後、スイッチバックで北東へ伸びているようにも見える。 | |
これって、いわゆる「砂利線」じゃあるまいか? | |
「国土変遷アーカイブ」より引用 |
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昭和22年(1947)には見当たらず、翌年撮影分から写っている。 | |
戦後復興の一翼を担うべく敷設されたものだろうか。 | |
昭和38年(1963)には既に線路の一部が消失し、耕地化しているので非常に短命だったようだ。 | |
いや、もしかして未成線かも・・・。 | |
県道を横断する部分が一部消失しているが(水色点線)、
本線との接続部分までは残っているようだ。
ただし最新の地形図を見ると、
この部分には水田があるだけで「道」の表記がない。
圃場整備で消えたか・・・。
探索は判りやすいここから始めよう。
これは最新の地形図にも載っている。
しかし、それも久保集落の西側までのことで、
そこから先は残念ながら圃場整備により消えている。
直線となった終点部はうっすらと残っているように見えるが、
撮影された昭和50年の時点で既にかなり怪しい。
現在はどうなっているのやら・・・。
県道から斜めに伸びる細道が確かにありますな。
舗装もされており、それなりの交通量もある様子。
入ってみよう。
航空写真で見た通り県道の北側に道は続いていないが、
気になるのでそっちから先に見てみよう。
駐車場と県道越しに先程の細道が見えている。
そして、この背面には・・・。
地形図からも消えた線路跡が、ちゃんと農道として残っていた。
ずっと奥には東北本線の架線が見える。
自然とニヤけてしまうな。
行ってみよう。
道を横断して四角い石が並んでいる。
あ〜これ、水路の跡だな。
両側の水田が耕作されなくなったので、埋められたらしい。
レールがあった部分だけ凹んでいる。
真っ直ぐに進んで行く。
農道にしては不釣合いなほど強固なコンクリートの水路は
鉄道遺構の証しであろう。
他にも4箇所ほど見られた。
レールが外された跡の桁には、何が使われているのだろうか。
この辺りは路肩が非常に広くなっているが、理由は不明。
EH500「金太郎」が独特の金属音を残して走って行く。
まずは振り返って撮影。
奥が「スタート地点」とした県道方向。
滑らかな鉄道曲線を堪能する。
・・・・。
いや、寒いので、すぐに下りて左に見える焚き火に当たった。
焚き火で暖を取るなんて何年振りだろうか。
本線の方が、やや高い位置にあるようだ。
またしてもEH500。
結局この日はED75の姿を見ることはなかった。
蒸気機関車が長い貨車を引いていたのだろうか。
現在は枕木一本残っていない。
舗装された細道に入って行く。
ここには踏み切りがあったと思われるが、
それらしい遺構は見つからなかった。
「スタート地点」を振り返る。
水田を突っ切って緩やかなカーブが始まる。
車が来たら離合は不能である。
車道との交差点には簡単な踏み切りがあったと思われるが、
そこから先は民家が建っており、その奥も水田になったため
線路の痕跡は全く消えてしまっている。
完全に消失した水色の点線部分はあっさりスルーし、
残っているように見える直線部分に行ってみる。
これかな・・・?
と言うか、これしかそれらしい痕跡がないのだが。
県道北側部分にもあった水路橋の跡だろうか。
この部分だけがやたらと頑丈だ。
米軍の写真でスイッチバックのように見えた部分は
水田になっており、真偽の確認は不能であった。
コンクリート製の円筒で、高さは150cmほど。
砂利の積み込み施設の一部だろうか?
左には阿武隈川の堤防が迫ってきている。
砂利採取の施設跡も残ってはいなかった。