日東紡福島工場専用線 (福島市) 2009.11 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
福島市街地の南にある日東紡の工場内に引き込まれていた専用線である。
旧国道4号線を越える跨線橋(矢印)や、その前後には築堤があったのだが、
現在はその全てが撤去され、宅地や商店になっていると聞いた。
実際、旧国道4号線を通っても遺構があるようには見えず、
ずっと探索の対象外としていた。
広大な日東紡の敷地と専用線。 工場内で分岐していた模様。 |
撤去された跡が車道になっている、なんてこともなさそう。 地理院の地形図からは軌道跡のラインすら読み取れない。 |
S字を描く築堤部分を拡大。 着工時には人家などなかったのであろう。 築堤を貫く隧道が確認できない。 |
すでに消えてしまった鉄道遺構のことなど忘れてしまって数年。 その間、各ポータルサイトの地図コンテンツは着々と充実していた。 地形図がゼンリン並みに詳細になり、さらには航空写真も加わった。 そして偶然見つけたのがこれである。 家がSの形に並んでいる(笑) これならちょっと面白い小ネタになりそうである。 |
(Yahoo!地図より転載)
製糸工場としてスタートしたが、現在はグラスファイバーを製造してるらしい。
ここにレールが敷かれていたはずだが、枕木すら残ってない。
上の画像との比較により、
今いる車道ではなく右側の宅地が専用線跡だったことが分かる。
さっそく右にカーブし始める。
このまま東北本線との分岐点まで歩いてみよう。
築堤はこの幅だったのだろうか。
向こう側にも道がある。
砂利道だったり狭くなったりするが、ちゃんと貫通している。
「太平寺 毘沙門堂」との標杭があった。
この辺りの小字も毘沙門堂というので、余程古くからあるのだろう。
上杉氏支配と関連があるのかも知れない。
幹線道路と立体交差する鉄道を敷設するには、
巨大な築堤を建設する必要があったわけだ。
築堤の高さはこの部分がピークだったと思われるが、
痕跡は何もない。
右奥のビルは軌道跡に沿って建てられたため、
車道に対して斜めに位置している。
右側の敷地が専用線跡である。
奥には東北新幹線の高架が見えており、
そちらに向かって今度は左カーブを描き始める。
大型トラックが並んでいる駐車場が専用線跡である。
徐々に低くなる築堤があったはずだが、現在は真っ平らになっている。
高架の手前に東北本線が通っているので、
このミニ探索もそろそろ終盤である。
ん? これって専用線の築堤じゃないのか!?
ほんの少しだけではあるが、専用線の遺構が残っていた!
この部分で1.5mくらいあるだろうか。
専用線の管理は国鉄だったと言うことか。
専用線一覧表(昭和39、42年版)では作業キロが2.0kmとあるのが、
昭和58年版では作業キロ1.5km、総延長2.4kmになっている。
(「トワイライトゾ〜ン」各巻より)
この部分でスッパリと切られている。
列車が通る度にアパートが揺れる。
これでは住み辛かろう。
どこから分岐していたのか明確には分からないが、
航空写真と照らし合わせると黒い車がある辺りだと思われる。
一部ススキが刈られた所があるので行ってみよう。
残念ながら何もなかった。
キャプションによると開通は昭和11年(1936)5月とあった。
末端は複線になっていたことがわかる。
ちなみにこのハチロクは既に解体されて残ってないようだ。
「時代を紡いで 日東紡80年史」より転載
[2010.03]追記