福島交通軌道線・伊達線 (伊達市) 2013.02 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
| 福島交通軌道線(旧信達軌道)に関しては過去に川俣線と桑折線を記事化しているが、 | |
| いずれも「日本の廃道」誌に投稿しているため、自サイトでの公開はこの伊達線が初めてとなる。 | |
| 400m弱の短い路線であり、遺構もほとんど残ってないので単独で取り上げられることはまずない。 (※) | |
| この度、ネコ・パブリッシングより発行された「福島交通軌道線(下)」に、伊達線やその起点にある長岡車庫の平面図が掲載された。 | |
| それを元にして古い航空写真に線路を書き込んでみた。 | |
| ※ 路線長について、wikiでは0.9km、「福島交通軌道線(下)」には「500m位」、「鉄道旅行地図帳」では0.3km、となっている。 | |
| 明治40年(1907) | 08 | 雨宮敬次郎が信達軌道を設立 (蒸気 軌間762mm) | |
| 明治41年(1908) | 04 | 福島駅前〜長岡分岐〜湯野、開通 (後の飯坂東線) | |
| 07 | 長岡分岐〜保原、開通 (保原線) | ||
| 明治43年(1910) | 01 | 保原〜梁川、開通 (梁川線) | |
| 明治44年(1911) | 04 | 保原〜掛田、開通 (掛田線) | |
| ? | 国鉄・長岡駅(後に伊達駅)前まで開通 (伊達線) | ||
| 大正4年(1915) | 12 | 掛田〜川俣、開通 (川俣線) | |
| 大正11年(1922) | 04 | 保原〜桑折、開通 (桑折線) | |
| 05 | 機関車の火の粉が原因で、鎌田村の46戸が焼失する | ||
| 大正13年(1924) | 04 | 飯坂電車が福島〜飯坂を開業 (電気 軌間1067mm) | |
| 大正14年(1925) | 12 | 改軌と電化を進める。社名を福島電気鉄道に変更 | |
| 昭和2年(1927) | 06 | 桑折線、川俣線を廃止 | |
| 10 | 「飯坂電車」を合併する (飯坂西線) | ||
| 昭和13年(1938) | 07 | 長岡車庫が火災 | |
| 昭和17年(1942) | 12 | 飯坂西線が国鉄・福島駅に乗り入れ開始 | |
| 昭和37年(1962) | 07 | 社名を福島交通に変更 | |
| 昭和42年(1967) | 09 | 飯坂東線のうち、聖光学院前〜湯野町間を廃止 | |
| 昭和46年(1971) | 04 | 飯坂西線を除く全線を廃止 (伊達線もこの時に廃止) | |
「福島交通七十年の歩み」より  | 
    
写真は昭和50年(1975)の伊達駅周辺
「国土画像観覧システム」より引用・加工
| ・ | 伊達線 | 
| 聖光学院前停留場のやや西側地点から分岐し、国鉄・伊達駅まで真っ直ぐ北西に延びているのが伊達線である。 | |
| 伊達駅の正面にて南に曲がった地点に小さなホームがあり、その東側に木造の駅舎があった。 | |
| さらに南西に延びているのは貨物用で、養蚕関連製品や農産物を国鉄の貨車に積み替えていたものと思われる。 | |
| 現在は新幹線の高架工事のために著しく変状しているが、積み替え用のホームの一部が駅構内に残っているとのことである。 | |
| ・ | 聖光学院前停留場 | 
| もとは長岡車庫に信達軌道の本社が置かれていた。 | |
| よって開業時は本社前(停)と呼ばれ、昭和26年(1951)に車庫前(停)になり、昭和37年(1962)から聖光学院前(停)になった。 | |
| ・ | 長岡車庫 | 
| 修理・点検のための広大なヤードがあり、社員のための宿舎や風呂場も併設していた。 | |
| 廃止後は分譲され、現在は伊達市商工会、幼稚園、小学校などとして利用されている。 | |
| 上の写真は廃止4年後の姿で、車庫はすでに広大な更地になっている。 | |
そこに通じる短い併用軌道が伊達線だった。
左が飯坂東線(専用軌道)で奥が湯野方面。
伊達駅前を発して湯野町へ向かう電車はここで急カーブしていた。
その軌道跡の線形が今もそのまま残り、車道として使われている。
2009.11