旧国道121号線・非道隧道4 (下郷町) 2004.11 [TOP] [寄り道] [廃道Web]

 

朽ちた吊り橋、古色蒼然とした水道橋。

そして、すぐに続けて現れるこの光景。

路肩には苔むした車止めが

旧カーブを描きながら奥へと続いている。

ついに「車道」が自己主張し始めた。

 

 

 

先ほどトンネルに突入した鉄の道が、

再び一瞬だけ姿を現している。

厳重な落石対策が見て取れる。

地図では一本のトンネルだったが、

実は二本に分かれていたのだ。

左が第二楢原トンネルであろうから、

右が第一楢原トンネルと言う事になる。

                  

落ち着いて視線を左に移すと、

道路が穴に吸い込まれて行くのが見える。

まさかと思っていたが、、、ふぅ・・・あった・・・。

信じ難いことだが、明治に穿たれた非道隧道は、

完成当時そのままの姿で残っていたのだ。

もちろん驚いたし、当然嬉しい。

しかし困惑に似た感情もあった。

そのためしばらくの間、近づけなかった。

 

 

塞がれることもなく、

崩されることもなく、

藪や灌木に覆われることもなく、

120年も変わることなくここにあったのだ。

よくぞ残っていてくれた!

しかし、なぜ残った?

 

 

明治18年(1885)に、

三年を費やして会津三方道路は完成した。

来年で120年目を迎える。

 

・・・・・・・・・・・・。

120年・・・・・。

 

 

徴用された地元民により、

手作業で掘られたと思われる隧道に

今、進入する。

路面には崩落した岩が散乱している。

 

 

 

 

10mほどで抜けてしまう。

天井は低く、バスやトラックの通過は

不可能だったと思われる。

 

 

 

 

 

出口付近の天井は、

現在でも崩落が進行中のようだ。

 

 

 

 

 

 

隧道を抜け、振り返り見る。

左上の部分ばかりが崩れるため、

こちら側の坑門の形は、だいぶ変形している。

 

 

 

 

 

 

 

隧道上部はこれほどしかない。

現在であれば、

間違いなく平面に開削されるであろう。

しかし明治の技術では、

トンネルを掘るしか方法がなかったようだ。

しかも、のみと金槌で、である。

 

 

明治、大正、昭和と、人や車を通し続けた隧道。

ぜひ土木遺産として保存して欲しいものだ。

 

後日判ったのだが、下郷町の観光パンフレットに

「石洞門・比戸岩(旧国道121号跡)」とあった。

下郷には何ともマニアックな担当者がいるようですな。

 

 

どうしても同じアングルが見つからない。

場所に間違いないと思うが、

違ってたら、もう一つ隧道があることになる。

それはそれで嬉しい誤算ではある。

(「福島県立図書館デジタルライブラリー」より引用)

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