旧国道4号線・臼石峠2 (二本松市) 2007.02 [TOP] [寄り道] [廃道Web]
緑が江戸期の奥州街道で、二本柳宿を抜けた後、小取揚坂、大取揚坂を越え、
藩境の境川を渡って福島藩領・八丁目宿に入っていた。
赤が明治期に三島が開削したルートで、二本柳宿は通らず、取揚坂も避け、
東側の山を越えた後、八丁目宿の南で旧街道に接続していた。
今回紹介するのは、そのうち実線の部分である。
この峠道を「臼石峠」と勝手に命名する。
(二本柳宿付近の明治国道は→こちら)
青が昭和33年(1958)に開通した旧国道。
明治の馬車道をほぼ踏襲し、改修・新規開削を加えることで
旧街道の呪縛から解放され、ついに本格的な車道となった。
この道も昭和58年(1983)、東側にバイパス道(現国道)が開通し旧道化したが、
現在も県道114号福島安達線として、多くの車を通し続けている。
赤の実線部分を拡大したのがこの航空写真。(昭和50年(1975)撮影)
明治に開通し、昭和33年(1958)まで現役のヒトケタ国道だったルートが
鮮明に写っている。(A〜C)
ついでに旧国道の法面も観察する。
昭和33年の施工だが、三段にも及ぶ石垣になっている。
コンクリートを使わなかった理由はなんだろうか。
地下水が多いのだろうか。
以前から気に掛けていた。
橋脚と橋桁は全て廃レールでできているようだ。
ここにも第二の予告信号がある。
今も現役で水を流し続けている。
水源はどこだろうか?
水路の脇には歩道も併設されているが、
さすがにこれは怖いね。
対岸の水路隧道も気なるところではあるが、
眺めるだけに留めておく。
[2008.09 追記] 起源は江戸時代に開削された「吉倉堀」という用水路らしい。
明治国道はあそこで旧国道と交差するのだ。
カーブ内側の歩道がここだけ広くなってるな。
ここからは舗装されているが、
幅員は相変わらず狭いままだ。
集落内の交差点を左折する。
明治期の道はカーブの外側を通っていた。
進入できるのはこちら側の接合部のみである。
奥で合流するのは農免道路である。
これが明治国道である。
航空写真と比べると、だいぶ線形が変わっている。
右上の平場が明治国道。
峠から見えた交差点がここである。
左右に伸びるのが旧国道、明治国道は直進する。
臼石峠もようやくここで終点か。
明治国道はここで右にカーブしていた。
奥に吾妻連峰が見える。
下を流れるのは、かつて二本松藩と福島藩の境界であった境川。
現在も二本松市と福島市の市境になっている。
さらに奥にも橋の欄干が見えているが・・・?
すでに水は流れていないのに、撤去されずに残っているのだ。
不思議な光景だ。
市境はここだな。
明治期の遺構ではないと思うが、銘板がないため詳細は不明。
鉄骨の橋桁は後から施された補強だろうか。
左手から旧奥州街道が接近してきて合流する。
ここから八丁目宿、現松川町の市街地になる。
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