常磐炭鉱専用鉄道・鹿島坑線 いわき市湯本) 2005.07   [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

  最初の探索では期待した成果が得られず、第二次探索を計画していたのだが、「常磐地方の鉱山鉄道」により
  更なる遺構の発見は望めないことが判ったので公開することにした。

  昭和20年(1945) 特殊専用側線として開通。国鉄が管理、運転していた。延長2.12km
  昭和25年(1950) 専用鉄道に変更。常磐炭鉱が運営
  昭和29年(1954) 線路を横断して国道バイパスが開通
  昭和43年(1968) 踏み切りにて接触事故が多発したため信号機を設置
  昭和46年(1971) 鹿島坑が閉山
  昭和48年(1973)  廃線
   

出典 小宅幸一著 「常磐地方の鉱山鉄道」


常磐線・湯本駅の南で東に分岐。

水田の中をカーブしていた築堤は

宅地となって消失した。

国道6号線バイパスとの交差点には

踏切りがあったが、今は何の痕跡もない。

 

 

その先の線路の北側には炭鉱住宅が

あったが、跡地が自動車学校になり

同時に道床も消失した。

 

 


[A地点]

自動車学校の東側、水野谷川を渡った所に

軌道跡が砂利道となって現れる。

交通量は農作業の車がたまに通る程度か。

 

 

 

山裾に沿ってカーブして行く。

法面のコンクリート擁壁は当時のもののようだ。

 

 

 

 

 

 

[B地点]

短い切り通しを抜けて行く。

切り通し内にもコンクリ擁壁が続いていた。

 

 

 

 

 

切り通しを振り返る。

10‰の急勾配が続く難所であったという。

 

 

 

 

 

 

[C地点]

いかにも線路跡らしい築堤上を進んで行くと、

隧道・・・いや、またしても切り通しがあった。

木々に覆われており、法面の様子や規模が判らない。

 

 

 

 

切り通しの中は、真っ昼間だと言うのに薄暗い。

しかも思ったより長く、まさに隧道のようであった。

車で通ったら、両サイドを藪に擦られること必至である。

 

姿の見えない小動物が、ガサガサと不気味な音を立てる。

 

 

 

 

 

出口が見えてきた。

この軌道跡は行政による管理が成されていないようだ。

 

 

 

 

 

 

切り通しの先の道床上には民家が建っていた。

この先も宅地化が進んで痕跡は薄くなり、

広い鹿島坑の敷地も工業団地として再開発された。

 

 

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