旧県道115号三春日和田線3 (郡山市)    2005.02   [TOP]  [寄り道]  [廃道Web]

 

  <東岸側>

たった150mの旧道探索を終え、東岸に渡ることにする。

しかし、航空写真を見て判るように東岸は直接K73に接しており、旧道は存在しない。

旧道レポは実質西岸のみで終了しているのだ。

 

 

 

 

 

とりあえず東岸に渡って西岸を望む。

先程までいた橋台が見える。

最も川幅が狭くなる部分に架橋した様子が窺える。

 

 

 

                     

橋台の上流側にだけ竹薮がある。

これは「増水した川の流れから橋台を保護するため人工的に植えられた」、

と見たがどうだろうか。

 

 

 

 

  数年前、福島市を流れる荒川が大雨の為増水、氾濫した。その際、激流を和らげて被害の拡大を防いだのは、
  「もはや過去の遺物であり不要なもの」とされ伐採すら進んでいた、江戸期の水防林であり、霞堤であった。
  今では現在も残る防水林の保護と同時に植林もなされているという。街道Web管理人としては、胸が透くような話である。
  江戸時代の治水技術をなめてはいけないのだ。 (参考→
こちら

橋台跡の南側は高台になっており、そこに石碑が建ち並んでいる。

その一つがこの橋に関するものであった。

 

 

 

 

 

 

右書きで「小和瀧橋 記念碑」とある。

昭和10年に三代目の鉄橋が完成した際に建立されたもので、

初代、二代目の建設の様子も書かれている。

「三島県令」の文字も見られた。

 

 

 

 

「明治九年」の表記に感動する。

石橋だった、とのことだがどんな橋だったのだろうか。

ぜひとも写真を見てみたいものである。

 

 

 

 

 

明治の石橋に思いを馳せつつ足元を見ると、

記念碑のある高台に上る階段の石材が目に留まった。

用途不明な四角い穴が開いており、砂利で埋めてある。

 

 

 

 

 

別の石材には先端に溝が切られてある。

階段には廃材が再利用されているようだ。

 

これこそ明治初期に石橋として完成し、後に洪水により流出したという、

初代・小和滝橋の残骸なのではないだろうか。

 

 

 

住民の寄付金により建設された橋ゆえバラバラの残骸となっても思い入れは深く、

捨てるに捨てきれないでいるのは当然のことであろう。

 

最後になってやっと当初の目的どおり、「橋梁Web」になりました。

橋とは全く関係の無い廃材の可能性もありますが・・・。

   ←前へもどる      終了

      [TOP]  [寄り道]  [廃道Web]