浪江森林鉄道1 (葛尾村) 2005.03 2007.04 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
葛尾村の中心部を最終土場とし、葛尾川、高瀬川に沿って下り、常磐線・浪江駅の貯木場に達する全長27.9kmの森林鉄道である。
明治35年(1902)に設置され、当初は手押しや馬力だったが大正14年(1925)からは機関車が導入された。
大正から昭和初期にかけて多くの支線が敷設されたが、中丸木線と焼築線のインクライン下まで以外は全て手押しであった。
● | 明治35年(1902) | 開業 (日本初の森林鉄道と言われる津軽林鉄の開業(明治42年)より早い) | |
大正2年(1913) | 最初の支線、三程線が開通 | ||
大正14年(1925) | ガソリン機関車を導入 (津軽林鉄では当初から蒸気機関車を導入していた) | ||
昭和3〜27年 | 相次いで各支線が敷設される | ||
昭和34年(1959) | 浪江〜申瘤間の軌道を廃止。車道化されトラック輸送になる | ||
昭和35年(1960) | その一年後、申瘤〜落合間も廃止。本線が全て車道化される | ||
昭和41年(1966) | 最後まで残っていた支線、中丸木線が廃止される | ||
参考図書 「全国森林鉄道」「トワイライトゾ〜ンMANUAL6」(以下、トワ6) |
本線を一枚の地形図に入れようとすると1/50000が丸ごと一枚という大きさになってしまうので、
適当に分割して小出しにする。
<終点>
県道から南に入り、野川川に架かる湯の平橋を渡ると、
川に沿ってやや太い作業道が東へ伸びている。
これが浪江森林鉄道の軌道跡である。
そして、ここがこの長大な林鉄の終点だと言う。
土場も作業小屋も、機関庫の痕跡もない、
「大型の農機が入れるように拡幅された畦道」との違いは、
その構造である。
路肩がしっかりと石垣で補強されているのだ。
しかも路面には緩やかな勾配が付けられている。
単なる農道とは明らかに規格が違う。
時々法面を見て、石垣がある事を確認する。
今でも軽トラくらいは走っていそうだが、
管理者は誰なんだろうか?
村道かな?
右が土場方向、左が浪江駅方面。
すっかり田園風景に溶け込んでおり、
ここに鉄道が通っていた事を想像するのは難しい。
水田との高低差が無くなると石垣も消え、
単純な土の築堤になる。
軌道跡は更に続いているが、どうやら民家の庭先を
通っているようなので、ここは迂回することにする。
ここまで[2005.03]
後から調べたら民家ではなく公共施設だと判ったので、
今回は迷わず進行。
川沿いの車道に出る。
軌道はこの辺りで川を渡り、北岸沿いを進んでいたが、
橋跡も道床も消えていた。
東の浪江駅方面を望む。
ここで軌道は葛尾川を渡っていた。
位置から類推して、あの畦道が軌道跡だと思われる。
この先は宅地や田畑に転用されているようなので、
大きく迂回して進む。
このK253こそ浪江林鉄を転用した県道なのであるが、
ここはまだ軌道跡ではない。
軌道は堤防上に設置されていたようで、
今でも作業道として利用されている。
しかし護岸工事が成されており、オリジナルかどうかは不明だ。
堤防と県道が合流する、この地点から先は
軌道跡が県道に転用されている。
これと言った遺構もないので、
車道化部分はレポートからは除外する。
[2006.07]
<追記>
「葛尾村史」の「交通」の項に「ガソリン軌道」なる一項を見つけた。
木材、木炭の他に日用品を積んで、浪江駅から一日一往復していたとのこと。
村の人々はこの便を単に「ガソリン」と呼んでいた。
巻頭のカラー地図(昭和初期)には白黒ラインに「トロリー軌道」との表記があるが、
電化はあり得ないので、これは「トロッコ」のことであろう。昭和24年(1949)調査の交通事情も載っていた。
・貨物自動車 5台 ・乗用自動車 0台 ・自転車 75台 ・軽便林用機関車 1台 機関車の車庫が村内にあったのだろうか。個人所有でもなかろうに、リストアップしてあるところが面白い。