国道252号線・旧道6 (三島町)   2004.11   [TOP]  [寄り道]  [廃道Web]

 

Aから先に崖の記号があることから、
Aが「転落多い」の標識があった箇所か。
「警笛鳴らせ」のカーブを曲がってBに至り、
南方に滝が見えるようになる。
C
辺りまで進んで道が消えた。

他方、川井側であるが、滝の上流部を越えてすぐに
崩落地に至ることから、D辺りまで進んだようだ。

C-D間の緑の部分には橋があることが
事前調査で判っていた。
今探索で、是非見たかったが叶わなかった。

 

最初に紹介した「尾瀬街道三島宿」の中に、

一枚の大きな写真が展示されている。

冬の只見川第一橋梁を捉えた

素晴らしい作品だ。

 

 

 

                     

その作品の右下を拡大すると、

そこには今風の欄干を備えた橋が!

到達できなかった橋が写っていた。

 

 

 

 

 

その手前に見える、

コンクリートの法面も記憶にない。

橋の右側には、明治期の馬車道が

残されている可能性もある。

ああ〜行きたかった! 悔しい!

 

 

 

現場には行けなかったが、

遠くから見るくらいはできるのではないか。

そう考えて、撮影したと思われる場所に

行ってみることにした。

川井トンネル坑門左側にその入口がある。

 

 

 

急坂を登った所にある平地から望む。

残念ながら橋は木陰に隠れて確認できない。

道筋すら全く消えている。

 

 

 

2005.02.06 ロールオーバーに変更

 

今回、相互リンク「KLB嵐山」さん管理人の

金子様より貴重な画像をご提供頂きました。

金子様ご自身が1974年(昭和49年)10月に

撮影されたもので、掲載許可を頂きました。

ちょうど30年前の画像である。

 

 

 

  主役は第一橋梁を貨車を引いてガタゴトと渡るC11であるが、注目は右側である。

  そこにはくっきりと車道が!なんと川井新道が写っているではないか!

  トンネルの開通が1971年だから、この時点では既に旧道化しているのだが、閉鎖されてはおらず

  奥のカーブには車が2、3台停車しているのが見える。驚くべきは車との比較から判る幅員の広さである。

  広い。非常に広い。現状からは全く想像できないが、本当に広い。

  馬車道からの始まったこの道の歴史を物語る一枚である。

  しかし、無理な拡幅工事がこの道の死期を早めたきらいもあるのでは、とも思わせる。

  うん、いいな! やはり歴史のある道は面白いな! また行きたくなってきたぞ。

 

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