震災で被害を受けた建築物や文化財。 その定点観測結果の記録。 | |
<須賀川市>
震災翌日、給水所で水を貰った帰りに撮影した。
建物内からはまだ煙が上がっており、ホースを持った消防士が待機している。
早くも解体作業が始まっていた。
瓦礫の撤去作業はひと通り終了したようだ。
崩れずに残った部分は壁で塞がれ、
崩壊した工場跡地では建設作業が始まっていた。
2013年1月
2011年3月
2011年7月
2011年9月
2013年1月
2011年3月
こういうものの復旧に手が回らないほど、当地は深い痛手を負ったのだろうか。
2011年7月
2013年1月
須賀川宿の総鎮守で芭蕉も参詣した由緒ある神社。
参道の両側に並んでいた石灯篭が軒並み倒壊した。
2011年3月
石灯籠が低いのは余震を警戒しての措置だろうか。
2011年5月
相変わらず石灯籠は低いままだ。
元旦には参拝者の長い行列が境内外まで続いていた。
そんなタイミングで大きな地震が発生したら、石灯籠は凶器になりかねない。
2013年1月
これは既出レポとは別角度の画像で紹介する。
2011年3月
これも既出レポとは別角度。
2011年3月
復旧工事と同時に拡幅も進行している模様。
点字ブロックも設置され、あとは街路樹を植えるだけか。
<白河市>
震災前年の夏、私は小峰城址の南西にある櫓を訪れていた。
2010年7月
目的は、白河駅を見下ろす櫓跡に建てられた、この「鐵道殉職者之碑」を見るため。
側面にはびっしりと名前が刻まれている。
大正5年(1916)に設置されて以来追刻を繰り返し、
昭和42年(1967)までに亡くなった鉄道従業員41名の氏名・死亡年月日が
刻まれているとのこと。
手前にあるのが石碑の土台である。
2011年4月
無残にも2つに割れてしまっている。
2005年3月
立木も倒れている。
数年がかりで修復するそうだが、なんとも気の遠くなりそうな作業である。
白石鉄道跡探索の際に何度も往復した県道である。
道路の左側が軌道跡であった。
覆い被さるような法面に威圧感を感じる場所であったが、
そこが震災で崩れて通行止めになった。
2011年4月
崩落したのはその上部の露岩のようだ。
山の頂上からエンジン音が聞こえるので注視すると、なんと重機が作業していた。 浮いた岩をアーム先端の削岩機で崩して落とす。 その岩が鈍い音を立てて斜面を転がり、県道のアスファルト上に落ちて砕ける。 路上には飛び散った岩が民家に飛び込まないように土嚢が積んである。 ------ なんともダイナミックな工事が行われていた。 現場の方に伺ったところ、 重機は山頂に生えた立木にワイヤーを回して"ぶら下がっている"とのこと。 調べてみると、千葉県にある「大昌建設」が開発した、 高所法面掘削機(ロッククライミングマシーン)RCM06型、というものらしい。 |
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