猪苗代町立吾妻第一小学校 議場分校 (福島県)   2014.11作成   [TOP]  [寄り道]  [分校・廃校一覧]

 猪苗代町立吾妻第一中学校 議場分校


  最初に「議場」という変わった名前の集落を知ったのは、オフロード車を買って林道巡りを始めた頃だ。
  秋元湖北側の山奥を通る林道沿いに、小さな集落がひっそりとあるのを地図で見つけたのだった。
  今は障害物が設置されて不可能になった秋元湖一周ドライブが、当時はまだできた。
  どんな人が暮らしているのだろうか、と実際に行ってみると、そこには深い薮に覆われた平場があるだけだった。
  正直に言うと、集落跡には接近できなかった。
   
  後日、写真集「続・懐かしの沼尻軽便鉄道」にて、この小集落に学校があったことを知り、
  「そのつもり」で探しに行ってみたものの、やはり深い藪に撃退された。
   
  と言うわけで、行ってない、見たことがない場所のレポを書く。
   

  「ぎじょう」だとばかり思ってたが、「ぎば」と読む。 源義家が軍議を開いた地、という伝承に由来する。
  吾妻山神社への細い参道が通るだけの深い森林地帯であった。
   
  明治の末頃、会津若松の石堂氏が立木の払い下げを受け、製材業を始めたのがこの地での林業の始まりである。
  明治21年(1888)に磐梯山が爆発し、堰き止め湖として秋元湖が形成されたため、木材の湖上輸送が可能になったからであろう。
  大正になって秋元湖に建設された発電用堰堤に、木材搬出用の水路が併設されたのはその名残りである。(現在は撤去されている)
  しかし、搬出コストが掛かり過ぎで利益が出ず、数年で廃止されてしまった。
  その後、伐採権を得た製炭業者が職人を雇って木炭を焼かせるようになったのだが、
  当初、バラバラに仮住まいしていた炭焼き職人たち(五十嵐氏、本多氏、大堀氏など)が、定住するようになった場所が、
  唐松川北側に広がる台地上にある、この議場であった。
   
  昭和23年(1948)に国による伐採事業が始まると、営林署の事業所や業者の作業場ができて一気に人が増え、
  翌年には小中学校が設置された。
  しかし、営林署が撤退すると過疎化が進み、ついには無人となった。
  しばらくは山仕事に入る人の作業小屋として数件の廃屋が使われていたが、やがてそれもなくなり、緑に埋もれたようだ。
   

  前述の「続・懐かし〜」に、議場分校に赴任した教員の手記が載っている。
  昭和31年(1956)4月、沼尻鉄道の木地小屋駅に降りた彼は、約3時間歩いて議場に到着している。
  集落の中央に中学校分校、その10m北側に小学校分校。 さらに30m北に猪苗代営林署中津川事業所があった、としている。
  校舎の一角に教員住宅が設けられており、250平方mほどの小さな校庭があったという。
   
  昭和24年 (1949)   吾妻村立吾妻中学校議場分校吾妻小学校議場分校を設置
  昭和30年 (1955)   猪苗代町と合併したため、猪苗代町立吾妻第一小学校議場分校に改称
  昭和35年 (1960)   吾妻第一小学校市沢分校が独立して市沢小学校になり、同時に市沢小学校議場季節分校になる
  昭和38年 (1963)   再び常設の議場分校になる
  昭和41年 (1966)   新校舎が完成。小中学校併設になる
  昭和45年 (1970)   小中ともに休校となる
  昭和48年 (1973)   廃校
         
  昭和55年 (1980)   本校であった市沢中学校を廃し、吾妻中学校に統合
  平成8年 (1996)   本校であった市沢小学校を廃し、吾妻小学校に統合

 


「続・懐かし〜」に掲載された議場分校の写真。

小学校なのか中学校なのか不明。

昭和24年頃撮影とのことなので、完成直後の様子だ。

校庭、畑、校旗掲揚ポールなどが見える。

 

 

 

 

 

これも「続・懐かし〜」に掲載された議場分校の写真。

小学校なのか中学校なのか、新校舎なのか不明。 撮影年も不明。

小さな子ばかりなので、小学校かも知れない。

これだけ子供がいるくらいの世帯があったわけだ。

 

入り口左側に校名が書かれた札が掛かっているが、拡大しても読めなかった。

 

 

   
昭和51年(1976)撮影の航空写真。

廃校後の姿だが、まだ人の生活が営まれているように見える。

中央に蛇行したラインを描くのが秋元湖岸林道である。

残っているとすれば、どれが校舎で、どれが事業所だろうか。

右下を流れる唐松川を渡る部分には橋が架かっておらず、

洗い越しだったようだ。

   

これは平成11年(1999)8月に、議場集落を探しに行った際に見つけた水場。

水路を掘って集落まで引水していたとのことだが、

その水源はここだったのではないかと考え、撮影しておいたもの。

(おそらく NIKON FE2 + ニッコール28mm/2.8 か 35-105mm だったと思う)

 

冷たい水が湧き出ているので飲んでみたが、青臭くて吐き出してしまった・・・。

 

 

 

 

 

 

 

水場の上には小さな祠が祀られていた。

水神様であろう。

議場の住人が安置し、今でも元住人が管理しているのではなかろうか。

 

今でもある、と思いたい。

 

 

 

 

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