東日本大震災の記録1 福島県 郡山市・須賀川市 2011.03 [TOP] [寄り道]
このレポートは、2011年5月から「日本の廃道」にて「復興支援号」として無料公開し、福島県内陸部の震災被害を広く知って頂き、 | |
また、被災地支援の募金のため、任意の金額での購入を呼びかけるために作成したものである。 | |
お蔭様で5万円を越える義捐金が集まり、その全額を日本赤十字に寄付させて頂いた。 | |
なお、このhttp版公開に当たり、文章の一部を修正、及び画像を追加しています。 | |
2011年3月11日にマグニチュード9.0の巨大地震が発生した。 | |
私が住む福島県中央部でも震度6弱〜強と大きな値となり、立っていられないほどの激しい揺れに大変な恐怖を感じた。 | |
今回は自宅や実家の周辺で見られた土木的被害を報告する。 | |
須賀川市(旧長沼町)では地震によってダムが決壊し、土石流が下流域の集落を押し流すという災害が発生したのだが、 | |
大津波被害と原発事故が余りにも深刻であるため、報道量は相対的に少ない。 | |
よって、「東日本大震災の記録2」にて詳細に触れる。 |
<郡山市>
マンションが倒壊し、数人の住民が閉じ込められたが全員救出された。
図書館に向かう際に必ず通るルートだったのだが閉鎖されてしまった。
倒壊直後の様子。
ケガをした人や座り込んでいる人などが写っている。
(ニュースサイトより転載)
そのマンションの下敷きになった自転車。
手前が県道。
4面ガラス張りだった屋上展望台が崩壊。
他にも損傷が激しいため、庁舎内立ち入り禁止となっていた。
近年開削されたバイパス道に生じた大きな亀裂。
他にも国県道、市道、農道を問わず、あらゆる道路で陥没や亀裂が見られた。
地震による建物被害が県内で最も多かったのが郡山市とのこと。
この地区では擁壁が崩落し、上段はもちろん下段の住民も
近くの公民館にて避難生活を強いられている。
擁壁が膨らみ、「く」の字になっている様子が見える。
同地で見つけた三角コーン。
本震で割れた箇所に注意を促すコーンを立てたが、
その後に発生した余震でアスファルトが上に乗ってしまったのだろう。
抜けなくなったのでやむなく上部を切断したようだ。
オフィスビルが縦に割れ、左半分が傾いている。
倒壊の恐れはないと判断されたのか、前を通る国道288号は閉鎖されてない。
明治7年(1874)に建設された擬洋風建築。
安積郡役所や桑野村役場として使用され、
明治天皇の行在所となったこともある安積開拓の象徴的建物が、この惨状となった。
<須賀川市>
SEIKOの時計部品などを製造している工場が倒壊した。
地震後、建物から発生する異音に従業員が気付き、
全員避難した直後に倒壊したとのことで、人的被害はなかった。
地割れが発生し、30cmほどの段差が生じている。
運休したまま数日が経過し、レールが赤く錆び始めていた。
この付近の架線柱には被害はなかったようだ。
上記の跨線橋付近にはコンクリート製枕木の保管場がある。
高々と積まれた枕木が崩れ、敷地外にまで溢れていた。
ほぼ全ての石碑が倒れていた。
私の祖先が建てた道路開削記念碑が倒壊し、4つに割れてしまった。
ほとんどの墓石が倒れてしまっている。
立っているものの方が少ないくらいだ。
須賀川宿の総鎮守で芭蕉も参詣した由緒ある神社。
参道の両側に並んでいた石灯篭が軒並み倒壊した。
須賀川市内には古い土蔵が多数残っているのだが、
そのほとんどが何かしらの被害を受けた。
この大きな土蔵にも「危険」の判定結果が貼られている。
中でも酷かったのがこの土蔵。
改装して住居兼商店にしていたようだが、全体が傾いてしまっている。
美しいなまこ壁も全て剥離してしまった。
かつてここには市内小中学校の教科書も扱う橋本書店が入っていた。
倒壊の危険があるため、前を通る国道118号が通行止めになった。
遠路はるばる広島県から来た陸上自衛隊の軽装甲機動車。
愛知県警や静岡県警のパトカーが市内や福島空港を巡回する姿も見られた。
奥に見える白い車は避難者のものらしく、後部座席には毛布が積んであった。
数日間、車内で寝泊りしていたようだった。
庁舎は損壊が酷く、立ち入り禁止になっていた。
倒壊の恐れがあるため解体することになった。
市役所付近にある眼科医院。
3階部分の外壁が崩れ落ち、吹き晒しになってしまった。
剥れた壁が庇を直撃して変形している。
小学校に通じる市道の惨状。溜池の堰堤が陥没してしまった。
奥に見える校舎も建て替えしなければならないほど損壊した。
道路脇に増設された桟橋状の歩道が崩落寸前。
老朽化が進んでいた社殿が倒壊。
隣にある本殿も傾いてしまっていた。
非常に堅牢そうに見える台座が崩れている。
境内の片隅で見つけた記念碑。
倒れることなく立ったまま30cmほど移動していた。
"井戸"という物に対して"壊れる"という概念を持ってなかった。
まるで破裂したかのような姿になっている。
いったい何が起こったというのか。
バス路線でもある市道が大規模陥没。
羽鳥用水の水路が至る所で損壊。
復旧は春の田植えまでに間に合わないとのこと。
鉄筋コンクリートや木造住宅に比べ、石積みの建造物は地震に弱いようだ。
倒壊した建物を多く見かけた。
仙台空港が津波により水没して機能が停止したため福島空港が代替空港とされ、
旅客機の他、援助物資を運ぶ航空自衛隊の飛行機も発着するようになった。
しかし実は福島空港も無傷ではなく、地震の際に管制塔のガラスが全て割れたそうだ。
修理が済むまでは、ガラスなしの吹き晒し状態で管制業務をしていたという。
この日も航空自衛隊のC-130輸送機が飛来していた。
<須賀川市(旧長沼町)>
大規模な山崩れが発生。
崩落の危険があるため、国道は通行止めになった。
国道を走っていて異様な光景に気付いた。
遠目では何であるか判別できなかったが、接近してやっと理解。
液状化現象により突出したマンホールであった。