東日本大震災の記録2 「藤沼ダムの決壊」 福島県 須賀川市(旧長沼町) 2011.03 [TOP] [寄り道]
このレポートは、2011年5月から「日本の廃道」にて「復興支援号」として無料公開し、福島県内陸部の震災被害を広く知って頂き、 | |
また、被災地支援の募金のため、任意の金額での購入を呼びかけるために作成したものである。 | |
お蔭様で5万円を越える義捐金が集まり、その全額を日本赤十字に寄付させて頂いた。 | |
なお、このhttp版公開に当たり、文章の一部を修正、及び画像を追加しています。 | |
欄干の支柱基部。
ナットが付いたままボルトが抜けている。
この後、上流にある藤沼湖まで行ってみることにした。
湖畔を巡る遊歩道の惨状と、すっかり水がなくなってしまった藤沼湖。
昭和12年(1937)に着工し、戦時休止を挟んで昭和24年に完成した農業用溜池である。
その後、何次にも渡る改良工事を経て今では自然公園として整備され、
多くの観光客が訪れる場所となっていた。
震災前年である2010年春撮影の藤沼湖。
枝の向こうに見える堰堤が決壊し、これだけの湖水が一気に"抜けた"。
決壊した堰堤を目指して歩き出す。
道路が陥没しているためクルマでは行けない。
堰堤決壊現場に到着。
堰堤上に設けられた車道が完全に消失している。
土を突き固めたのであろう痕跡が階段状に露出していた。
2008年に撮影された藤沼湖本堤。
以前より水漏れが報告され、対応が要請されていたと言う。
(wikipediaより転載)
植林された木々を薙ぎ倒しつつ、土石流となって斜面を下っていった。
迂回して反対側にも行ってみよう。
駐車場にクルマを止め、坂道を上って湖畔に着く。
副堤も崩落していたが、紙一重で決壊は免れたようだ。
もしこちらが決壊していたら、土石流が長沼の市街地を直撃していた。
堰堤の一部が切れたのではなく、全体が内側に崩落したようだ。
湖水は右側の斜面を濁流となって流れ下った。
さて、被害を受けた下流の集落に行ってみよう。
溜池の水は右奥から下ってきた。
ここには水田があったのだが表土ごと押し流されてしまい、
地下の岩盤が露出してしまっている。
土石流は橋を飲み込み、簀ノ子川に合流。
橋は残ったが欄干はこの状態となった。
下流側に折れ曲がった欄干の支柱。
勢い余った土石流は簀ノ子川を越えて対岸の集落を襲い、
民家を押し流して人的被害が発生する惨事となった
前出の簀ノ子橋はここから1km下流に当たる。
これは工業団地の造成地でも、干上がった川でもない。
ここには水田が広がっていた。
土砂をかぶりモノトーンになった田圃の中で、ステンレス製の浴槽が光っていた。
前夜、このお風呂に入った人は無事だったのだろうか。
簀ノ子橋からさらに1kmほど下ったところにある寺前橋にも行ってみたのだが、
橋は橋台だけ残して跡形もなく消えていた。
下流を遠望したが、橋桁の姿は見えなかった。
同所から上流側を望む。
ここには材木店の大きな工場があったのだが、
土台どころか地面ごとなくなってしまった。
川の流路が変わってしまっている。
流出物は滝地区から3km離れた水田にまで広がっていた。
土石流はさらに1km下流で堤防擁壁を削り取り、江花川に合流した。
藤沼湖と滝地区の間を舗装された林道が横切っている。
よって濁流の直撃は免れなかったはずで、気になったので行ってみた。
所々に深い亀裂の入った舗装林道を慎重に進むと、やがてここに至る。
倒木。 乾いた泥。 浮いて路上に乗ったアスファルト。 そして荒れた谷・・・。
対岸の様子。
法面が剥き出しになった築堤。 元はどんな状態だったのだろうか。
奥の白いビニール紐のように見えるのは、ガードレールである。
上流の様子。
奥の明るく見えるところに藤沼ダムの堤体があった。
立木に巻きついた倒木やガードレール。
どれだけの圧力が加わったのだろうか。