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偶然見つけた「郡山の伝え語り」という本が面白くて読んでいたら、表題の昔話が出てきた。 |
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郡山市小原田は、かつては奥州街道・小原田宿として栄えた街だが、農業を兼業している世帯がほとんどであった。 |
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しかし、農地は自宅から離れた所にあり、農作業に通うだけでも大変だった。 |
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それを気の毒に思った古川清蔵という人が、昭和の初め頃、4箇所に休み石を設置した。 |
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これは現在で言うと歩道に設置された"ベンチ"のようなもので、 |
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小原田の人々は、農地への行き帰りに腰を下ろして休憩したり、世間話に花を咲かせたり、と憩いの場として親しんでいた。 |
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使われなくなった後も、昭和30年代まではそのまま路肩に放置されていたが、 |
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やがて道路拡張などのために、全て撤去されてしまった。 |
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しかし上記の本によると、その4つの休み石は現存しており、今も見ることができるとのこと。 |
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これは何とも興味深い!、と所在地を巡ってみることにした。 |
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<古川家> |
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まず最初に、休み石を設置した古川清蔵の家を確認すべく、 |
久し振りに旧奥州街道・小原田宿を訪ねる。 |
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このビルが古川歯科医院で、奥に住居があるようだ。 |
間口が狭くて奥に長い、街村の特徴が今でも残っている。 |
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医院の裏手にまわると、確かに小さな祠がある。 |
これが古川家の氏神様らしい。 |
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道路に面したところにあるとは意外。 |
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祠の周囲は廃材置き場になっており、割れた屋根瓦や古い石材が乱雑に置かれている。 |
その中に、休み石と思われる大きな四角い石があった。 |
かなり荒削りな仕上げの御影石で、ベンチとして使用したらお尻が痛くなりそうな気がする。 |
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転用されることもなく、原状を留めている唯一の休み石なのだが、 |
この状況を見てだいぶ感動が削がれてしまった。 |
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<香久山神社> |
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祠の場所から少し南に進んだ所に香久山神社がある。 |
門柱や鳥居が真新しい。 |
おそらく大震災で倒壊し、その後再建されたものであろう。 |
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参道を進むと正面に立派な社殿があり、その左側に大きな石碑が立っている。 |
「社殿改修・神楽殿改築」の記念碑である。 |
建立は昭和51年9月とあった。 |
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これか。 これが休み石か。 |
廃材に紛れて置かれた先のものより、かなり"良い顔"をしているように見える。 |
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裏面を見ると、「台石寄進 古川清左衛門」とあった。 |
これは古川家の歴代当主が継いでいる名前のようだ。 |
おそらくは二本松藩から苗字・帯刀を許された資産家なのであろう。 |
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試しに名前で検索してみたところ、なんと自サイトがヒットした(笑)。 |
先祖が「郡山湯本電鉄」に出資していたのだ。 |
時期からして、休み石を設置した古川清蔵本人なのではなかろうか? |
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<小原田中学校> |
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それらしい石を探して、学校を一周してみた。 |
すぐに見つけたものの、「これかな? これで合ってるのかな?」と確信できなかったのは、 |
石の各辺がきれいに整形されていたからだ。 |
4分の1ほどが地中に埋まっていると思われる。 |
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ここにも「贈 古川清左衛門」の名があった。 |
やはりこれが休み石が転用された校門で間違いなかった。 |
銘板が埋め込まれていて助かったな。 |
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