江持洞門3 (須賀川市) 2003.12 [TOP] [MENU] [寄り道] [廃隧道]
広場や高台に、石碑、祠、東屋などがある。
よって「江持隧道」ではなく「江持洞門」を
当サイトでは採用している。
正式名かどうかは不明。
〜江持盆唄〜 江持洞門鬼亀抜いた
会津磐梯誰抜いた
「鬼亀」とは佐久間亀五郎の事である。
彼は私財を投げうって、洞門を通したのである。
1888年(明治21年)の事である。
同じ年、磐梯山が噴火している。
その後、明治41年、昭和10年、昭和57年の
三度、洞門は拡張された。
この画像には自転車が写っているので、
昭和になってからの撮影と思われる。
完成当時はさらに狭かった事になる。
幅員が広がり、四角い穴になったが、
高さはあまり変わってないように見える。
右側に羽黒神社の裏参道があるので、
ここから上って、洞門の上に行ってみる。
しっかりと付いている。
この大きさのトラックだと
天井スレスレに通過したに違いない。
さて小道の先は、薮が払われており視界がきく。
人の手が入っている様子が判る。
斜面を上るとそこには・・・。
予想が当たって思わずニヤリ。
二つ共南を向いて建っていた。
この二つの祠は、羽黒神社と深い関係があるのだろう。
洞門を切り通しにすると、両者が物理的に切り離されてしまう。
その為、神社の関係者が工事を許可しないのではないか。
と勝手に想像してみた。
この二つの小さな祠が江持洞門を存在たらしめているのだ(想像)