側澤洞道(稲沢隧道) 1  (塙町 稲沢→棚倉町 八槻)    2003.10   [TOP]  [寄り道]  [隧道Web]

   
  「歴史の道調査報告書・水戸街道」に、「塙町稲沢の神社に明治の隧道完成記念碑がある」との記述を発見。
  地図にて「稲沢」なる地名を探し、さらに詳細に見ると、確かに隧道があってもおかしくない地形が感じられた。
  これは是非現地へ赴き、確認せねばなるまい。
   

稲沢集落の入り口。

右に見えるのは米山(351m)。

この山中のどこかに、人知れず隧道があるらしい。

奥へと進んで行く。

 

 

 

集落内に北野神社がある。

その参道左側に、隧道完成記念碑が確かにあった。

内容を読んでみる。

全文が漢字表記で平仮名が全くないが、

なんとか意味は判る。

 

 

 

     
 

側澤洞道之碑

 
  此地舊嶮峻頗艱人馬往来村民甚憂之唱  
  開鑿之議明治十九年二月起工仝廿一年  
  十二月竣成即工程二十年間投費六百金也  
  始得交通之便名曰側澤洞道依刻石建之  
  明治四十一年十二月  
  高城村大字臺宿字稲澤発起人誌之  
     

 

一行目に「側澤道之碑」とある。

明治19年(1886)に起工し、明治21年(1888)に竣工したようだ。

山道を開削して道を通すまでの苦労などが刻まれているが、

最も困難であったと思われる隧道に関する記述がない。

不安ではあるが「洞」の文字に期待しよう。

 

 

 

 

 

神社前の道をさらに奥へ進む。

人家が切れると、そこからは未舗装になる。

「林道稲沢北山本線」に入る。

 

 

 

 

 

稲沢川を越えた所から側澤洞道は始まる。

何の標識もないので、これは勘である。

「澤」とは稲沢川の事なのであろう。

 

 

 

 

道の崩落部分が補修してある。

しかも最近だ。

ちゃんと今でも管理されているようだ。

おそらくこの辺りで町境を越え、棚倉町に入る。

 

 

 

 

やがて分岐がある。

いやしかし、こんな暗い山道の奥で、交通標識を見るとは思わなんだ。

設置者は「棚倉町建設課」とある。 これって町道なのか!?

左右どちらが通行止なのか不明なので、より薮っぽい右側へ進む。

通行止は左側の事に違いない。きっとそうだ。

 

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