安積疏水の利水1 (郡山市)   2004.05/2007.08      [TOP]  [寄り道]  [発電所]

   
  水が乏しく古来より未開発であった安積原野に、標高500mにある猪苗代湖から奥羽山脈を貫いて引水する。
  そんな大プロジェクトが130年前に行われた。それは、江戸から明治新政府になって初めての国家事業でもあった。
  安積開拓に関して語るべきことは余りにも多いので、ここでは割愛する。   参照 「安積疏水土地改良区」
   
  ※2016年4月、文化庁が認定する「日本遺産」に選ばれました。
   

<上戸頭首口>

昭和37年(1962)に完成した現在の取水口。

国道49号線・上戸トンネル東口付近にある。

 

水路は地下を通っており、中山峠を越えるまで水面を見せることはない。

 

 

<山潟取水口>

完成当時の取水口は500mほど東にあった。

水門すらない単純な水路だったようだ。

(後に4基の水門が設置されている)

 

土木学会付属・土木図書館」様より転載させて頂きました(使用許諾済)

 

ほぼ同じアングルから撮影した現在の様子。

旧水路は埋められ、公園化が進んでいる。

後に設置された制水門も撤去され、

コンクリート化された護岸が僅かに見えているだけだ。

 

 

 

取水口両岸の石垣が現在も残っている。

貴重な遺構だと思うのだが、特に説明板などはない。

 

 

 

 

 

 

取水口は移設されたが、現在もバス停に名を留める。

 

 

 

 

 

 

 

旧取水口の脇には管理事務所が設置された。

昭和初期、猪苗代湖の上流に発電所が相次いで建設され、

その影響で湖水面が低下したため、

ここに揚水場が設置された時の建物である。

現在はレストランとして再利用されている。

(休業中)

 

 

その当時、使用された大小4台のポンプのうちのひとつが

ここに展示されている。

これは「大」で、日立製作所製の350馬力、とのこと。

 

 

 

 

 

安積疏水事務所の敷地内に大小2つ展示されている。

これは「安積疏水事務所・旧館」脇の「小」の方。(2011年の震災にて損壊・撤去)

やはり日立製で150馬力、とのこと。

 

 

 

 

さて、旧取水口の下流である。

一度は埋められてしまった水路であるが、

近年、再び水を流す改修工事が行われた。

 

 

 

 

国道49号線に沿って東進。

この辺りは猪苗代第一発電所の工事軌道として紹介したところでもある。

 

右奥に明治27年(1894)と刻まれた

「水量基点」なるものが現存している。

 

 

 

安積疏水猪苗代湖水量標ハ
是ヨリ百二十四度二当リ二十一間
分ノ掘割南側ニシテ本標頭ヨリ低(キ)  欠損につき推定
四尺三寸二分ヲ以テ二尺八寸ノ定  (┐は「コト」の合字)
水位トス
此基点ハ農商務省建
ノ水量ノ変動スルヲ恐レ
ヲ建者也  明治二十七年十一月十日
 
  青字部分はコンクリに埋もれて見えなかったが、平成21年(2009)10月に撤去された
   
  安積疏水猪苗代湖水量標は、
  是より124度に当り、21間4分の掘割南側にして、
  本標頭より低きこと4尺3寸2分を以て2尺8寸の定水位とす。
  此基点は農商務省建設の水量の変動するを恐れ、之を建者也。
 

明治27年11月10日

  2013.04加筆

第三安積疎水橋梁の下を通ってさらに東へ。

 

今はもう見られない、磐西色の455系が通過中。

 

 

 

 

沼上信号所付近。

ここは田子沼と言う湿地帯だった所で、

水路工事中、最大の難所だったとのこと。

沼に足を取られて亡くなった役夫もいた。

 

 

 

やがて水路は国道の下にもぐり姿を消す。

分水嶺である中山峠を越えて水系が変わる瞬間である。

 

 

 

 

 


山潟にあるのと同じ水量基点標石が、

十六橋西側に立つファン・ドールン像付近にも現存することが分かった。

須賀川市在住の伊能忠敬研究会員・松宮輝明さんらにより、2009年8月に発見された。

発掘して拓本を採ったようで、側面には山潟のものと同じ文面が刻まれているらしい。

左は2007年7月に私が撮影した件の水量基点標石。

この時は、これが何であるか分からずに撮っていた。

こちらは天面の凸部が丸いが、山潟のものは正方形である。

     
  この発見は地元紙にも大きく写真付きで掲載された。  
  09.8/23 福島民報 「安積疏水の標石発掘 湖面の高さ定める」  
  09.9/15 福島民友 「十六橋に水準点標石 明治時代の地理局が設置」  
     
  残念ながら民友の記事は誤報である。  
  内務省が設置した几号水準点と混同し、同じものが十六橋付近でも発見された、と報じている。  
  松宮氏は几号水準点も研究しているので、雑談の中で話したものを記者が混同したのであろうか。  
 

2013.04追記

 

当時、標石発掘の現場に偶然居合わせた方からご連絡を頂きました。

 

安積疏水の水利について 投稿者:仙 投稿日:2013/04/28(Sun)

TUKA様はじめまして。郡山在住の仙と申します。
追加レポされていた十六橋の水量基点標石の記述がありましたので思わず書き込んでしまいました。
と、言うのもこの調査をしていた時に私も偶然にこの場所に居合わせてていたからです。
松宮氏は学生さん二人を連れて標石の発掘作業をしてこれから拓本を取る所で、私も見学させて頂きました。
色々と松宮氏と話をしたものの、その後松宮氏の名前を忘れてしまう失態と、
この標石についての新聞記事を見逃してしまいこの標石についてはもう何もわからないまま記憶から消えてしまうのではないか?
と感じていたところにこの記述、鳥肌が立ちました。
あれからもうすぐ
4年、標石はまた多くを語ってくれた様です。

 

2013.04追記

 


  なんと、標石を発掘したご本人様からもご連絡を頂きました。

宮城県在住の標石研究家・浅野勝宣さんです。

   
  戸ノ口の水量基点標石 - asano  2013/09/05 (Thu) 11:12:43

はじめまして
4月に投稿があった十六橋近くにある水量基点標石の件で、私は実際に標石の周囲を掘り返して調査していた3人のうちの1人です。
調査は管理者の許可を得て平成21年8月2日に行いました。
標石全体の計測、刻まれている文字などを調査し再び埋め戻しました。
調査の成果として作成した図を添付いたします。

   
  転載の許諾を頂きましたので、ここに掲示させて頂きます。

   <戸ノ口> ●    <山潟> ■
   
       
  安積疏水猪苗代湖水量標ハ是ヨリ ○○ 安積疏水猪苗代湖水量標ハ
  百二十八度二当リ十間ノ湖中ニシテ本   是ヨリ百二十四度二当リ二十一間四
  標頭ヨリ低キ┐五尺一寸五分ヲ以テ  (┐は「コト」の合字)   分ノ掘割南側ニシテ本標頭ヨリ低(キ)  欠損につき推定
  六尺二寸ノ定水トス   四尺三寸二分ヲ以テ二尺八寸ノ定  (┐は「コト」の合字)
  此基点ハ農商務省建ノ水量   水位トス
  ノ変動スルヲ恐レ之ヲ建者也   此基点ハ農商務省建
    明治廿七年十一月十日   ノ水量ノ変動スルヲ恐レ之
 

赤文字部分は山潟の水量標との相違点

  ヲ建者也  明治二十七年十一月十日
       
  安積疏水猪苗代湖水量標は、   安積疏水猪苗代湖水量標は、
  是より128度に当り、10間湖中にして、   是より124度に当り、21間4分の掘割南側にして、
  本標頭より低きこと5尺1寸5分を以て6尺2寸の定水とす。   本標頭より低きこと4尺3寸2分を以て2尺8寸の定水位とす。
  此基点は農商務省建設の水量標の変動するを恐れ、之を建者也。   此基点は農商務省建設の水量の変動するを恐れ、之を建者也。
 

明治27年11月10日

 

明治27年11月10日

       
 

定水トス

- 定水位トス
       ・戸ノ口のものは「位」が抜けていると思われる
 

水量標ノ変動スルヲ恐レ

- 水量ノ変動スルヲ恐レ
       ・戸ノ口のものは「標」が余分であると思われる
 

明治廿七年

- 明治二十七年
       ・「27」の表記が異なる

  言うまでもなく安積疏水建設は国家事業であり、この重要な基点標石もファン・ドールンの指示によって設置されたものと思われるが、
  地中に埋もれる部分の文面であることを前提にしていたとしても、その刻印はかなり杜撰である。
  稚拙な文字は素人がクギで落書きしたようであり、大きさも揃わずバラバラである。
  また上記のように抜け、過多、不統一が見られ、とても熟練した石工職人の仕事とは思えないのだ。
  どうしてこのようなことになったのであろうか。
  設置する直前になり、大急ぎで刻印するような事態が発生したのだろうか。
  2013.09追記
 

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