裏磐梯の発電所群1 (北塩原村) 2007.06 [TOP] [寄り道] [発電所]
大正時代、猪苗代湖の豊富な水が電源として着目され、九州鉄道の社長であった仙石貢が猪苗代水力電気を設立。
日橋川沿いに複数の発電所を建設することになった。
発電所は大量の水を必要とすることから大正3年(1914)、猪苗代湖に電動式ゲートを備えた制水門が設置された。
水門建設と同時に猪苗代湖の渇水対策も実施された。明治21年(1888)、磐梯山の噴火により、
湖の上流に当たる川が堰き止められて出来た三湖(桧原湖・小野川湖・秋元湖)に堰堤と水門を設置し、
必要に応じて猪苗代湖に水を供給する体制を整えたのである。
さらに昭和になると、その三湖自体の水も直接発電に利用されるようになっていった。
県道から白樺展望台への砂利道に入ると、やがて水路に架かる橋、「白樺橋」を渡る。
ここに車を停め、水路に沿って上流へ進む。
自然の小川のように見えた水路はすぐ先で深い石垣に挟まれ、
藪に埋もれた余水路を越えると制水門が見えてくる。
現在は無人&電動化されている模様。
二つあるアーチ水門の左側からは、
勢い良く桧原湖の水が流れ出ている。
どういう場合に使用したのだろうか。
水門の右側には延々と続く石積みの堰堤がある。
湖水が溢れることを仮定して造ったようで、法面は緩やかな曲線となっており、
下部は余水路になっていたと思われる。
現在は絶対に溢れないように管理しているらしく、余水路は半ば埋もれている。
更に念を押すように、金属板にてかさ上げされている。
石垣がないと天然の川のように見えるが、全て人工の水路である。
この先、中瀬沼や乙女沼などを経て小野川湖に注ぐ。
長瀬川など多くの川をせき止め、これら全ての湖沼発生の
原因となった褐色の巨大な「穴」が、正面に見える。
磐梯山だ。
明治41年・地形図 (ヨッキれんさん提供) 人家や道路がほとんど見られず、噴火後の荒廃した様子が感じられる。
桧原湖にはその膨大な水量ゆえか、
もう一つ制水門が大正14年(1925)に追加で造られた。 (着工はT9)
完成当時あった取水塔は既になく、奥に見える白い建物内に
水門が移設された。
管理用の通路が設置されているのが見える。
当然、水路も地下トンネルになっている。
この左側には「長峰水門管理所」という、いわゆる「番小屋」がある。
一応地図にも表記があるのですぐに見つかったが、
これはなかなか良い物件であった。
意外なほど浅い水路の奥に坑口が見える。
断面の直径は3mくらいだろうか。
要石には、かつて木製の銘板が取り付けられていたような痕跡が見られた。
「長峰隧道」とでも呼んでいたのだろうか。
桧原湖の水は小野川湖に流れて行く。
資料によると「長峰水路」とあるが、これは正式名称なのだろうか。
小野川湖の制水門は大正7年(1918)に完成している。
12基のサイフォン式吐水口が並び、中央に水門が設置されている。
この辺りの地名を吐出という。
磐梯山の噴火で吹き飛んできた岩だろうか。
巨石がそのまま水門の一部に組み込まれている。
重くて撤去できなかったのか、あるいは撤去する必要がなかったのか。
なんとも豪快な光景である。
やはり「庭石」には違和感があるなあ。
その先には緩やかな勾配の「すべり台」が続いている。
余水路にしては緩勾配だし、魚道にしては魚の退避場所がない。
実はこれは「流木路」と言って、山で伐採した木材を
下流へ通すための施設なのであった。
水門から漏れた水が、今でも僅かに流れて光っている。
10年間ほどは実際に使われていたのであろうか。
丸太に磨かれたのか、底面は鏡のように滑らかになっている。
なんとか後世に残したい遺構だ。