裏磐梯の発電所群4 (北塩原村)   2007.06        [TOP]  [寄り道]  [発電所]

 

昭和14年(1939)、東京電灯は秋元発電所の下流に「磐瀬発電所」の建設を申請しているが、着工には至らなかった。

しかし戦争が始まって電力不足となったため、短期間に完成可能な発電所としてこの地が浮上した。

昭和18年(1943)に日本発送電が着工したが、完成したのは敗戦後の昭和21年(1946)であった。  (「福島県史」「猪苗代湖利水史」)


<沼ノ倉発電所>

秋元発電所から放水された水はこの車道の下を通っている。

車道の両脇が桜並木になっているところから想像すると、

かつては開渠だったのかも知れない。

 

 

 

下流側から秋元発電所方面を望む。

ここは車両進入禁止区間だが、丁寧に除草されて「道」ができている。

奥に白く水圧鉄管が見える。

 

 

 

 

 

 

 

ここに堰堤と取水口があり、

水流は長瀬川と沼ノ倉発電所方向へと分かれる。

発電所の取水口を下流側から見る。

 

 

 

 

県道と水路が並行する辺りに慰霊碑がある。

 

  日發沼之倉水力發電所建設工事

中華民國殉職者慰霊碑

   西紀千九百四十七年十二月一日

 

日本発送電が昭和22年(1947)に建てたものだ。

 

上記の慰霊碑と県道を挟んで対面には、

当時、建設工事に携わった人々の飯場があった。

ここに現在「中国殉難烈士慰霊碑」が建っている。

日本各地で亡くなった中国人労働者を対象とした慰霊碑であるとのこと。

 

 

 

 

やがて取水門が見えてくる。

あの下に発電所があるはずだ。

 

 

 

 

 

水門の脇に、もう一つ慰霊碑があった。

 

  日発沼倉水力発電所建設工事

朝鮮人殉職者慰霊碑

   西紀千九百四十七年十月一日

 

ほぼ同じ仕様だが若干フォントが異なり、建立時期にもズレがある。

 

沼ノ倉発電所の建屋を正面から見る。

建設当時のままの建屋と思われるが、時節柄か味も素っ気もないデザインである。

放水門周辺は後年コンクリートにより改修されたようである。

[2013.09 追記]

建設の際、沼尻鉄道にて資材を運搬したとのこと。 (「ふくしまの近代化遺産」より)

線路からは1500mほど離れているが、工事用の引き込み線が敷設されたかどうかは不明。

 

(北アフリカ戦線のマチルダ歩兵戦車に採用されたのと同じ三色迷彩だよなあ・・・)

 

放水路は「沼ノ倉2号橋」の下を通って真っ直ぐに伸び、

長瀬川に合流した後、猪苗代湖に注ぐ。

 

 

 

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